Thursday, June 08, 2006

自己紹介をする前に、肩書きの話

日本は特にそうなのかもしれないけど、肩書きにこだわるよね。実際に何をしているのか、というよりはカテゴライズできる肩書きを知りたがる。人間関係、特に上下関係が日本語の会話には重要、ということもあるのだろうが、いろ〜んなことに興味を持ち、いろ〜んなことをしている人にとって、肩書きって窮屈だし、肩書きって可能性を制限してしっているような気がする。

弟はジャズサックス奏者で、釣り人。また、機械などのデザインもCADで作ったりもするんでだど、収入は普通の会社からお給料として貰っているので、自分のことを説明する時は「会社員」になってしまう。でも、そういう意識がなければ、サックスプレーヤーとしてもっと伸びていたかも、とか、会社員をしながらフリーのデザイナーとしてもやっていけたんじゃないか、とか思ってしまったり。

私もずっっっと肩書きを聞かれるとDJと言ってたんだ。分かりやすいからね。本当は映像プロデューサーでもあり、ライター、詩人、画家、などなどいろんなことをしていた/いるけど。やっぱりDJとして認められるまでは「DJです」と言い切っていた。

ある程度認められたら、DJ兼映像プロデューサーとか、DJに「兼」が着くようになるんだけど、私が関わって来た作品よりラジオ番組の方が知名度があるとちょっと複雑な気持ちになるのよね。DJのあとの「兼」が小さくなっているような。

今はラジオからも離れ、あまりプロデューサーとしての仕事も受けていないし、逆にもっと物を書いたり、アートをやったりしている。で、ある時、アーティストの友人に「自分をアーティストと呼んでいいのかしら?誰にも作品見せていないし、誰にもアーティストだと認められていないし」と言ったら彼は「アーティストという肩書きは言ったもん勝ちだよ」と教えてくれたのだ。

あ、そうか。

でも、、、そういう自分もいるけど、、、ライターである自分もいるし、、、ポエットだし、、、旅人にもなりかけているし、、、と考えると肩書きそのものが面倒臭い存在になってしまう。

箱の中、型の中に押し込まなくてもいいじゃない!今は名刺もないし、社会的地位も住所も職業もない。とても身軽だ。ジャニス・ジョップリンの歌、クリス・クリストファーソンの歌詞じゃないけど、freedom's just another word for nothing left to lose、失う物がないというが本当の自由!私みたいな人をカテゴライズできる言葉が生まれるまでI am nothing and I am everything.

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