Thursday, November 20, 2008

ビバ・ラ・レボルシオ~ン!

今日は「革命の日」
1910年の農民革命を祝う日だ。

団塊世代の陰で育ちフラワーパワーには遅すぎ、ディスコには早すぎた私の少女時代のヒーローはチェ・ゲバラ、アンジェラ・デイビス、ジェリー・ルーベンや70年代のジョン・レノンなどだった。「革命」という言葉を聞くだけで胸が騒ぎ、握りこぶしを掲げ、銀行のカウンターでAK47を振り回し(スタイリッシュなベレー帽はオプションね)「パワー・トゥ・ザ・ピープル!」と叫びたくなってしまう。そう。私は薄っぺらでポップカルチャー的な革命主義者なのだ。

日本でも農民の一揆や学生運動などはあったが、本当の意味の革命はまだ起こっていない。個人的にはそこに日本の一番の問題が隠されているような気がする。民衆は自らの力を把握していないだけでなく、試したことすらない・・・と思う。日本史や日本社会史を勉強していない私なので、時々とんでもない勘違いをしてしまう。今日も「一揆」という言葉を思い出せなく、調べたら、Wikipediaにはこんな記述が:

『孟子』に由来する言葉で、江戸時代になると幕府に公認された既存の秩序以外の形で、こうした一揆の盟約による政治的共同体を結成すること自体が禁じられるようになるため、近現代の日本では一揆自体があたかも反乱、暴動を意味する語であるかのように誤解されるようになった。確かに一揆が反乱的、暴動的武力行使に踏み切ることもあるが、こうした武力行使が一揆なのではなく、これを行使する「盟約に基づく政治的共同体」そのものが一揆なのである。

こういった誤解のため、日本の一揆が英訳されて海外に紹介されるに際しても、 riot, revolt といった暴動や反乱を意味する語として訳されるのが一般化してしまった。近世の「百姓一揆」も peasant uprising と英訳されて紹介されているが、現実には peasant の意味する零細な小作人だけによるものではなく、むしろ村落の指導的な立場に立つ裕福な本百姓らによって指導されており、彼らはむしろ英語で農場経営者を指す語である farmer と訳すのがふさわしい事を考慮すると、これも歴史的事実に即した英訳とは言えない。同様に、例えばミュンヘン一揆のように世界史における庶民や民衆運動による反乱、暴動も日本語訳されるときに一揆の語を当てることが慣用化している面があるが、これも中世の日本の一揆とは似て非なるものと言わざるを得ない。


ふむふむ。

メキシコの革命はまさに上記のpeasant uprisingだ。だから夕方のパレードには昔の農民たちのかっこうをした小学生も参加。男の子は生成りの上下に麦わら帽子、日本語の「わらじ」から由来したという説もあるワラチ・サンダル、そしてビニールとテープで作った弾薬帯におもちゃのライフル。眉墨のヒゲもかわいらしい。女の子は三つ編み、長いギャザースカート、刺繍入りのブラウスでミニ・フリーダ・カーロになっている。

ホイッスルが鳴るとパレードは止まり、どこからか座布団のようなマットがそれぞれのグループの前におかれ、体操着の男の子たちが人間ピラミッドを作る。どうやら、これも「革命の日」の大切なアイテムらしい。

「なるほど。身体を鍛えて、革命に備えるってことね」と思っていたが、実はもっと抽象的な意味があるようだ。シンボリックに見ると、人間ピラミッドはピープルパワーの象徴。庶民の力、合同体の力を意味している。やっている生徒たちはどう感じながらピラミッドを作っているのだろうか?裕福になると庶民の力のことなんてあまり考えなくなるからなぁ。

2 Comments:

Anonymous Anonymous said...

お久しぶりです〜!あら!私も今メキシコはPuerto Vallartaに1ヶ月いるんですよ!Baddogさんはどちらに?まさかメキシコでお会い出来るなんて奇跡は、、、!!!

10:49 AM  
Blogger bad-dog said...

Vallartaもダウンタウン、好き〜!
そして、そこも地元の人たちはとてもフレンドリーですよね。
1ヶ月もいらっしゃるんだったら、ven aca!

4:10 PM  

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