Sunday, December 10, 2006

アロハ・クリスマス


日本語版を更新しないうちにかなり時間がたってしまった。マズイ。
ホノルルでは感謝祭も終わり、クリスマスシーズンまっただ中。

子供のころはやはりクリスマスは何かマジカルな時期だった。私の父は
“熱心な”無神論者だったが、彼にとってクリスマスは「子供の日」のようなもので家にはそれなりの「飾り物」があった。12月も今頃になると大きなモミの木がリビングの隅にが〜んと登場。家族で飾り、ツリーの下にはプレゼントを。
サンタからのプレゼントは勿論ないのだ。イブに空飛ぶ雪車でやってくるから。
でも、今思うと、サンタが実在する人物だと思ったことはなかったような気がする。宗教のない家だけに、やはり演出があまかったのだろうか?他の家では「サンタさんに」とクッキーとミルクを出しておくとか、親が雪の中にトナカイの足跡を作っておくとかしていたが、我が家ではキリスト教の伝統がなかったので、クリスマスそのものの伝統も表面だけ借りていた。だから、私にとってサンタクロースって七福神と同じレベルの人物だった。

7歳の時、とても欲しかった“お化粧セット”(ひえ〜っ!)は「サンタに頼んだから」クリスマスの朝、ツリーの下に現れるはずだったが、興奮していた私はサンタは親の演出だから、プレゼントは絶対家のどこかに隠されていると信じて、母がいない隙に家中探して。そしたら、使っていないバスルームのシャワーの中にあったのだ!発見した私は大満足。でも、そのことを親に言うともうサンタからのプレゼントはなくなると思い、黙っていた。そのころから創作的なイヤなヤツだったのだ。

それでも、クリスマスシーズンになるとまわりのチャリティムードにも影響され、何かいいことをしたくなる。人助け、ボランティアに励んだり、毎晩世界平和への祈りを送ったり。

でも、長年日本で暮らしていると、私にとっても、もうクリスマスはただの商業的なお祭り。プレゼント、ディナー、パーティ。ホームレスの人々に関心を向けるでもなければ、戦争孤児への寄付をするわけでもない。自分たち家族や友人の幸せのことだけだ。日本はキリスト教の国ではないので、別にいいのかもしれないが、こんな消費者大国アメリカでさえ単なる「もの」のお祭りではない。そりゃ、宗教的な部分も多いが(だって、キリストの誕生日ということでしょ?歴史的には春に生まれたらしいのだが)それに伴い、助け合いとか慈善とか、そういうノリも大きいのだ。

ハワイ、特にローカルハワイアンの間には熱心なクリスチャンが大勢いるので、やはりホノルルもこの季節は「助け合い運動」が盛んになっているが、南国がクリスマス色いっぱいになると、どうしてもちょっとひいてしまう。自分のシニシズムに呆れてしまう今日この頃だ。

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