Friday, December 29, 2006

ホクニーワールド

ブログを始めるずっと前に書いたものだけど、今でも通用するので、載せちゃいます。

2005年5月1日(日曜)
サンタモニカの死ぬほど静かな日曜朝。日曜だけでなく、毎日が死ぬほど静かなのだ。たぶん昔からそうだったのだと思うが、メキシコ3ヶ月滞在後、この静けさが妙に気になってしまう。メキシコの田舎では早朝のニワトリや犬、近所の陸軍基地から流れてくるマーチングバンドで朝は始まり、日中のLPガス売りや水売りトラックの呼びかけ、夜遅くまで続く生マリアッチ入りパーティの賑わいなど、朝から晩まで人間と自然の音が混ざりあう。

それに比べるとサンタモニカの沈黙は生命が吸い取られた音のように感じる。静止画以上の沈黙だ。デビッド・ホクニーの穏やかだけど人間味のないプールの中に沈んでしまったかのような日々の繰り返し。でも、これは長年ロサンジェルスに住む人々の音で、新しい移民が集中する街には母国の音がガンガン響いている。

時々、敏感すぎるカーアラームがこの沈黙を切り裂く。OJシンプソンのナイフのように。ビービービー!グヮーグヮーグヮー!けたたましいアラームはロスの沈黙の下に流れる暴力を暗示し、また沈黙に吸い込まれてしまう。

不満の空気も充満しているのだが、同時にわざとらしい幸福感も。ロスの人口全てが豪華なディズニーイベントのキャストのように笑い、冗談を言い合い、嬉しそうに友達と携帯で話し合うのだが、なんとなく演劇的でみな、自分の奥深いところで秘密を隠しているかのようだ。彼らの「人生」という名の劇では自信も才能もないウェーター、ウェートレスではないく、将来の大スターだったり、名高き詩人、監督、画家や小説家たちなのだ。メニューを運んだり、注文を受けたりするのは人生が「人生」に追い付くまでだけの仕事に過ぎない。そのレストランの外で小銭をジャラジャラさせながらカンを差し出すホームレスの男も役を演じているだけなのかもしれない。工事現場や机の前の仕事よりいい役なのかもしれない。

Lifeと「life」の違いがロサンジェルスをlifelessにしているのだろうな、と思ってしまう。

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