Sunday, June 15, 2008

地獄へ道連れ、その1

日本にいる時は一度も必要性を感じなかった運転免許。しかし、アメリカ、特にカリフォルニアでは自転車のみ、という別けにはいかない。それに、山奥で何かが起こり、仕方なく車を運転し(それも、何故かマニュアルのワーゲンなのだ)町までおりるという悪夢は昔から何度もみているので、潜在的には運転しないというのは何かしらトラウマになっているのかもしれない。

ということで、2004年に仮免を取得した。

サンタモニカのDepartment of Motor Vehiclesでペーパーテストを受け、視力の検査をするだけで取得できるのだが、日本の試験所とあまりにも違うので少々戸惑ってしまった。

「仮免の申請をしたいんですけど」
玄関の机に座っているおばちゃんにいうと彼女は「アナタのため?」と驚いたようにきく。そうだよね。私ぐらいの年齢の人だったら、15歳の子供のために申請しにきた、と思われても当然。

番号札と申請書をもらい、30分くらい待つと番号が呼ばれる。

妙にキレている年配の男が14番窓口の主だ。デフジャッム・レーベルのボウリングシャツが白髪に似合わない。ここでは服装はみんな自由だ。制服姿の人なんて一人もいない。11番窓口の女性は体系にはピチピチすぎるスパンデックスの上下だ。

デフジャム男はちょっと俳優サミュエル・L・ジャクソン似だ。今にも『パルプフィクション』のシーンのように聖書を引用しそうなのだが、私の申請書をみるといきなり怒鳴り出す。
「この住所はなんなんだ!」その頃、私はまだ観光ビザで入国していたので、住所欄は日本の住所だった。「なんだ、この日本っちゅうのは?ここに住んでいないのに、なんで運転免許が必要なんだよ!第一、ソーシャルセキュリティ番号もないのに、免許が発行されるわけないだろ?」

今はまだそうだけど、運転の練習がしたい、と説明する。

ジャクソンさんは引き続き私を罵る。もうロスにはドライバーが多すぎる、アンタになんか与えられない、どうせ身分チェックをパスしない、等々。同時に部屋中の人たちをからかい、あちへ踊り、こっちへ踊り、歌い、私の申請書をヒラヒラ振り回しながらあちこちへ持って行く。時々、大きな音をたて嘆をきる。そして、また窓口に戻り、私にいう。
「ま、まずテストをパスしないとな。チャンスは3回だ。全部無駄にするな。」

とても、とてもシュールな体験だった。

その夏はちょこっと運転したが、秋には仮免も切れてしまい、それから3年間は一度も運転していなかった。で、去年の夏にまた仮免を取得したが、今度は中央カリフォルニアのDepartment of Motor Vehiclesだった。いかれたサミュエル・L・ジャクソンなんていない。がっかりだ。それから焼く12ヶ月。その仮免もあと2週間くらいで切れてしまう。この1年間で合計3時間くらいしか運転していない。仮免が切れる前にドライビングテストを受けなければならないが、どうなることやら!ゲゲゲゲゲ。

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