Friday, February 17, 2012

マヤ遺跡と教訓

今日訪れたパレンケは今回の旅の5つ目の遺跡だ。ユカタン半島ではなく、チアパスのジャングルの中にあり、緑茂る背景の中の遺跡は神秘的。そして、全体のエリアは巨大だ。栄えていた時はどのような都市だったのだろう?想像もできないが、博物館の展示物からすると相当なる都市だったのだろう。


数千年に渡るマヤ文明なので遺跡がそれぞれ時代によって異なるのは当然だ。最初に訪れたエク・バラムは小さなサイトだがちょっぴりジャングルぽいところで、メインのピラミッドにある見事に保存されている彫り物は他では見られない内容だ。

一番知られているマヤ遺跡はチチェン・イッツァ。あまりにも有名なので「いかないと」と思いがちだが、無理していく必要はあるのだろうか?(と思ってしまった私だ。)建築の技術はウシュマルほどじゃないし、何と言っても巨大観光バスからぞろぞろ出てくる老若男女。観光客でゴッタ返しているサイトは神秘も何もない。また、カンクンからのバスツアー客の中には何故ここにいるのかわからないような人が多い。せっかくの「音響が素晴らしい」と言われているボールコートもつまらない世間話でうるさい。「そいでもって~、彼女ったらさ~」「うっそ~、そんこと言ったの~」というような会話を延々と続ける若いアメリカ人女性たちの気が知れない。他の国の人たちも世界遺跡という場所でこのような会話をしているのだろうか?幸い、彼らの会話の内容はわからないが、日本からのお年寄り団体の一人と土産売りの不思議な会話は:「コネモチ!コネモチ!」「そうだよ、オレは金持ちだよ」「ニンジン!」「おお、人間だよ」、、、シュールすぎてなんとも言えなかった。

チチェン・イッツァを訪れると、今度はイサマルという町の中にあるピラミッド、キニチ・カクモだ。ピラミッドのハシゴというのもなかなか良いではないか。ピラミッドそのものは普通なのだが、街角から巨大なステップをよいしょよいしょ上ると、、、広場に出て、先にはまたまた上らないといけないステップが。うんしょ、うんしょ上る観光客が真ん中の広場に到着した時のウンザリした表情を見るのが楽しい私は相当な意地悪なんだね。それにしても、古代マヤ人は今のマヤ人より大柄だったのだろうか?どの遺跡のステップもバカ高い。


ユカタン州の南にあるウシュマルはマヤ文明の頂点の都市だったようだ。訪れた遺跡の中では一番のクォリティ。石はどれも正確にカットされているので、他の遺跡のようなモルタルは使われていない。我々が訪れた時はほんの一握りの客しかいなかったので、神秘ムード抜群だった。特に南の隅にある「ウシュマルの小人の母の家」あたりは手前に男根像のエリアがあり、魔術の空気が今でも漂っている。

それぞれの時代の遺跡を廻っているうちになんとなくマヤ文明の興亡を肌で感じることができる。

紀元前から始まった文明、巨大な都市を誇る文明だったが、数百年のうちに滅びてしまった。原因はひとつではなく、いくつもの要素の重なり合いだったようだ。戦争、ミルパ(焼畑)農法、森林伐採。そして、これらが生む気候変動、食料不足や疫病。スペインによる侵略がトドメを指したようだが、既にその頃はもうマヤ文明も衰退していたという。現在の世の中と共通する部分が多すぎる。マヤの歴史には貴重なレッスンが存在すると思う。

もっともっと歴史は勉強しないといけないが、遺跡だけを見ても、どんどん技術が向上し、またその技術や知識を失って行く様子が分かる。人間の社会は絶えず進歩しているのではない。発展したり、衰えたりするものなのだなぁ。

我々の社会も100年前より現在の方が良いというのが一般的な考えで、この先100年したら今より更に良くなっているはずだ、と思う者が多いだろうが、そうとは限らない。未来は必ずしも明るくはないのだ。

マヤ人の中にも「地球干ばつ化」について警告した賢人たちがいたのだろうか?いたとしたら、同時に「そんなバカな」と無視する権力者もいたのだろう。

「地球をもっと大切にしないと人類は滅びる」というマヤの教訓に耳を傾けないと。手遅れになる前に。
日本の浮世絵の人物に似ていない?

パレンケの「クイーンズ・バス」 私もこんな「お風呂」が欲しい!

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