ウェルカム・トゥ・サパティスタ・カントリー

「あのケバケバスカートの人たちはこの村の人たちだったのね。」
サン・クリストーバル・デ・ラス・カサスから数キロ離れたところの村、チャムラに入るとすぐにわかる。
サン・クリストーバルの教会の前や広場で毎日、チャムラの女性と子供たちが手芸品や民芸品を売りに来ている。ショールやマクラメベルト、ブレスレット、木の実のネックレスや刺繍が鮮やかなブラウスなど。三つ編みヘア、サテン生地のパフスリーブのブラウスに昔はヤギの毛皮を使っていたのだろうが、今はケバケバした着ぐるみに使いそうな黒い布のスカートが女性の衣装。お年寄りも幼い娘も皆この衣装だ。
「男性はケバケバベスト!」
彼らのは白っぽいケバケバだ。
その日はマルディグラ。一週間のお祭りのクライマックスの日だった。近くの村からも大勢集まり、チャムラは人、人、人の大混雑。村ごとなのか部族ごとなのか、それぞれ異なる衣装を着ているのでなんともカラフル!

しかし、日本の祭りと違って、とても閉鎖的だった。外人、よそ者はあまり歓迎されない。単に無視されるか我慢されている感じだった。ルールを守らないと大変なことになりえる。写真撮影とかね。ガイドブックには「この地域の原住民たちは写真を嫌うので撮影しないように」と注意が書かれている。「写真に魂が吸い取られるのを恐れている」という理由らしいが、カラフルな衣装の人々が携帯電話のカメラでお互い嬉しそうに撮影しているのを見ると、魂を吸い取ることができるのは外人だけなのだろうか?それとも、もう既に吸い取られてしまい、恐いものなしなのだろうか?と思ってしまう。
「何が始まろうとしているの?」旅中は訳の分からないことだらけ。
ケバケバベストの男たちの群衆が街角に現れ、最初は綱引き?と思いきや、よく見ると綱の間に牛が縛られていた。恐怖でいっぱいの牛は目を白黒させておびえている。かわいそうで、その後、どうなるのか見ていられない気分だった。
すると、ざわめきがして、怒鳴り声と共に棒をふる男たちが寄ってくる。これから牛を町に逃がすのかと思い、素早くビルの影に隠れたが、棒をふる男たちは西洋人カップルを追っていた。
「何もしていないよ!」西洋人の男は英語で怒鳴る。
「ファック・ユー!」どこで覚えたのか、先頭の男は英語でののしり返す。
「何?お前こそファック・オッフ!」西洋人も負けていないが、群衆はどんどんふくらみ、どんどん過激になっていくのがわかる。何が起こるかわからない。いや、想像できちゃうので恐い。西洋人の女性は「もう、いいからさ」と男をなだめ、群衆から彼をひっぱりながら遠ざかる。
「彼、本当に何もしていなかったんだよ。隣の観光客グループが写真を取っていたんだ」と教えてくれるビッグドッグ。
「みんなどんどん酔っぱらっているから気が立っているんだね。ちょっとヤバいカンジ。」
「帰ろうか?」
「ヘンな事件に巻き込まれる前にね。」
何事もなく無事にサン・クリストーバルに戻ったが、なんだか悲しく、寂しかった。日本だって同じくらいカラフルでエキゾチックで素晴らしい祭りがある。いっぱいある。日本人だって祭りとなればはちゃめちゃになり、みんなベロベロに酔っぱらう。だけど、チャムラの人のように外ものに対してアグレッシブにならないぞ。それどころか、外人は大歓迎だ。自分たちの文化の素晴らしさを世界とシェアしたい、というのが日本人。一緒に神酒を飲み、一緒にクレイジーになって欲しいのだ。(どんなに悪ふざけしても寛大である日本人。今まではメキシコ人と共通していると思っていたが、地域によって違うのね。)
チャムラの人々は自分の文化に自信がないのだろうか?それとも何百年も抑圧され、差別され続けているとこうなってしまうのだろうか?ビッグドッグの説は「コントロール」だ。
「世の中のほとんどが自分のコントロール外だと、微々たる部分でもコントロールしたがるんだよ」と推測する。写真を撮られることや教会に足を踏み入れること。楽しむこと。どうなのだろうか。もし、そうだとしたら、なんだかケチ臭い。精神的な貧しさを感じてしまう。
それに、抑圧とか差別はメキシコ中の先住民が体験してきたことだが、他ではこのような妙な空気はなかった。でも、今まで訪れたメキシコはユカタンやチアパスより来客が遥かに少ないので、外人の数に圧倒された結果なのかもしれない。
いや、そんなものじゃないかも。ケバケバ衣装がチクチクして苛立っているだけなのかも。

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