Tuesday, May 28, 2013

ミケランジェロの亡霊

前回、ローマとフィレンツエを訪れたのは90年代初期。ミッレ・ミリアというクラシックレーシングカーのラリーを取材しにきた時だ。レーサーを追うだけで街なんてほとんど見なかった。ちゃんと見たのは70年代後半、貧乏バックパッカーだった時。当時は「1日20ドルでヨーロッパを」というのがバックパッカーのモットーだったが、私はもっと貧乏で1日20ドルなんてなかった。

「人間は変わったけど、ローマはどの時代もローマだよ」というセルジオ。彼はローマの中心、ラゴ・アルジェンティーナにある小さな宿のオーナーだ。 

人間はかなり変わった。77年の時も観光客でいっぱい、というイメージだったが今はごった返している。あの頃、旅行なんてしなかった(できなかった?)人々で満員だ。旧ソ連支配下の国民、中国人、韓国人、東南アジア諸国の人々、インド系、中東系、中南米の人々、、、 
どこも観光客だらけのローマ
しかし、人間が変われば街も変わってしまう。どこも入場料を取るようになってしまった。学生割引はあるが、70年代のように無料ではない。人気スポットはどこも長蛇の列。トレビの泉やスペイン広場などは人だらけ。

一番のショックはバチカンで待っていた。しかもショックは人ごみではなかった。 

最後にシスティナ礼拝堂を見たのは修復前。ミケランジェロのフレスコを修復するプロジェクトは80年代、ニッポン放送のサポートで行われた。何世紀もの汚れを落とし、ビビッドな配色が戻ったとの噂だったが、、、 

人間の河に流されながら母と私はバチカン博物館の最後の部屋を通り抜け、“新しい”システィナ礼拝堂へ流され込んだ。ガードマンたちの「静かに!」の大声と何百という観光客のささやきが混ざる中、皆、天井を見ている。

 信じられない。ミケランジェロの有名なフレスコの色が、、、違う。ビビッドすぎる。カラフルすぎる。でも、一番ショッキングだったのは汚れと一緒にチャコールでシェーディングした部分も落とされてしまったこと。なんだか平面的になってしまった。顔のディテールのない人物も。目のない顔は恐い。 

ミケランジェロのフレスコはこんなはずじゃなかったぞ。というのが私の無教養な意見だ。 

修復を手掛けた専門家たちによるとミケランジェロはブオンフレスコという方式、要するに乾かない前の石工の上に色を塗り、乾いた段階では何も加えていないそうだが、これは間違いではないかと私は思う。だって、修復前のフレスコの方が優れていたんだもん。 

ミケランジェロの亡霊は暴れているのを想像した。しかし、作業中にもさんざんもめた作品だ。ヌードが卑猥すぎるという意見の聖職者たちと戦い、しまいには(死後)他の画家に衣類を塗り足されてしまう。亡霊が暴れているとしたら何世紀も暴れていただろう。いや、ミケランジェロの亡霊はとっくのとうにバチカンを離れている。宗教臭いところにいる訳がない。きっとウェストハリウッドのどこかで騒いでいるに違いない。

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