Monday, April 09, 2007

タマゴ

週末は世界的に不思議なエネルギーに溢れていた数日だったはずだ。
復活祭、花祭り(お釈迦様の誕生日)、シーク教の収穫祭、ユダヤ教のパスオーバー…と、私が知る限りでもこんなにたくさんの宗教的イベントがあった。

そんな中、私はかわいいパステルカラーの卵に囲まれたアメリカン・イースターを過ごしたのだが、宗教色は限りなく薄く、家族が集まる口実、という感じだった。

どの家もタマゴ、ヒヨコ、ウサギなどのデコレーションがとてもキュートだが、私はあのイースターエッグに一番ひかれてしまう。卵のイメージって好きだな。生命の誕生、限りない可能性などが含まれているのだが、あの卵形がなんとも言えなくセクシーなんだな。上の絵は最近始めたプロジェクトからだ。

英語版ブログにも書いたのだが、本来はポストイットを使って毎日、絵日記のように1日1枚1作品を描くというものだ。やりながら気付いたのはこれは数年前やった「クリエイティブ・スランプの克服法」にとても似ていること。前の「克服法」では1日1ページ、手書きで何がを書くというとてもシンプルなエクササイズ。手で文章を書く、という行為がどうやら脳のクリエイティブな部分を刺激するらしいのだ。だから、内容はどうでもいい。この1日1作品、というのも私にとっては「大作」というよりはサーフィンの前のストレッチのようなもの。だけど、やっているうちにどんどん創作意欲も湧いてきている。ただのエクササイズといいながら、一日に何度もその日の作品に戻り、ディテールを足したり、内容を変えたり。かなり楽しんでいる。

で、このエクササイズをやりながら、もう一つ気付いたことがある。私のこのような作品には「言葉」が要素として入るのだが、その「言葉」は必ず英語になっていること。(もう今はそのことを意識しちゃっているので、今後は意識的に日本語を入れるかもしれないが)何故、ディープな内面や潜在意識の部分からのものだと英語になってしまうんだろう?夕べ、このことについて考えているうちになんだか落ち込んでしまった。

私の日本語の表現力ってそんな上辺だけのものだったんだろうか?本当に意味のあることは英語でしか言えないのだろうか?日本人なのに。これは情けなさ過ぎない?とか。でも、考えているうちに、そうじゃない!私には同時に「日本語でしか表現できないこともたくさんある!何をどう表現するかによって、言語を選択しているだけだ」と思うようになった。

ロジカルなことを話す場合は絶対に英語の方が話しやすい。感性のものは日本語の方が表現しやすい時が多い。でも、内面的なことになると少女時代からの日記のトレーニングからかどうしても英語になってしまうんだろうな。これはいけない。これからは1日1作品ももう少しバイリンガルにしないと!

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