Tuesday, November 20, 2007

バックトラック

わお。最後のエントリーから1ヶ月以上だ。こりゃ最悪。10月末からだったら仕方ないのだが・・・ で、その訳はコスタリカへの旅が原因なのだ。かなり遡らないと話にならないので、バックトラックすると:

10月30日
ロスから脱出

23日に牧場を離れ、ドッグ・タウン経由でロスへ。30日から6週間コスタリカなので、やることは山ほど。その上、山火事の影響でベランダは黒い灰がべっ とり。バスルームの窓も少し開けているので、真っ黒。やっぱりすごい山火事だった。でも、たぶんテレビで見るほどではなかったのでは?99年のウッドス トック3の時も「放火事件」が報道されたが、テレビ中継車のモニターでは「火の海」に見えるものは実際、ところどころの小火って感じだったので、テレビ映 像は信用できないとその時思った。圧縮で迫力が出るのだろう。

しまった。話が反れてしまった。これじゃなかなか進まない。

とにかく、荷物はすべてバックパックに収納できたので、シャトルやタクシーではなく、市内バスで空港まで行くことができた。ロスは車社会だからバスに乗る 奴は学生、違法移民、ホームレスなど。多くがアウトサイダーだ。楽しく、車を運転しない私は大好きだ。その上、天然ガスで走るのでとてもクリーン!

夜遅くコスタリカの首都、サンホゼに到着。雨期の最後の最後だ。まだ少し小雨が降っている。入国手続きはどうってことないのだが、旅行者が多いため、時間 がかかる。ここ数年、すっかりアメリカ人の間でポピュラーになってしまったコスタリカだ。今回も友人が最近コンドミニアムを購入したので、そこに泊まらせ てもらうことに。ビッグドッグにとって30年以上ぶりのコスタリカだ。そして私にとって初めての場所。新し物好きな私はどんなに飛行機が混んでいようと も、どんなに入国手続きで待たされても、心はルンルン。ただ・・・壁に張ってある「18歳以下の人との性行為は違反行為です」というポスターはなんなんだ ろう?少女や少年の売春問題を抱えているのだろうか?そしてところどころに「パスポートはホテルの金庫など、安全な場所に保管してください」という注意書 きにも驚く。アメリカ人の間では「コスタリカは安全な場所」という常識があるから。その上、出発する前にいろんな人と話してわかったのが、多くのアメリカ 人はアメリカ人がいっぱいいる場所が好きだということ。私は外国へ行くのだったら、日本人がいないところがいいのだが。日本人といたいのなら、日本にいれ ばいいじゃない?本当はアメリカ人の多くは旅行は他の国や文化を知る旅ではなく、たくさんのアメリカ人に囲まれ、英語で話せる異国の中の我が国をエンジョ イする旅がいいのかも。私にとって地獄そのものだと思うクルーズ旅行やオールインクルーシブ・リゾートが人気なのもそういう理由からかも。

空港の外は人でごった返している。ちょっとマニラ空港を思い出してしまう。
「タクシー?」
「ホテル?」
客寄せがいっぱいいるのだ。我々はレンタカーを予約していたので、機内で知り合った若い女性と一緒にレンタカー事務所までシャトルで。彼女は遥々ネブラス カから来たとか。ここで友人と合流し、1ヶ月くらいバックパックでコスタリカを見るのだと張り切っている。最近の若い旅行者としてはなんだか珍しいので、 彼女が予約し、友人と合流するという空港近くの町、アラウェラのホテルまで乗せていってあげるとオファーしてしまったのだが、事務所で(また)ビッグドッ グは料金でもめ始める。

「保険?今日の分も取られるの?そりゃないよ。もうすぐ12時だよ!」

結局、次の朝、戻るといい、その場からはタクシーで消える。アラウエラは空港からほんの数分だ。すぐにミス・ネブラスカが予約したホテルに到着するのだ が、ホテルのスタッフと彼女の友人は待ち伏せていて、我々を怪しく思ったのか、彼女をぐいぐい中へ誘導し、私たちにはぶっけらぼうに「もう満室」と言い切 るだけ。仕方なく、バックパックを背負い、真っ暗な町を歩き始めた。

ここはアジアではない。ネオンなんてない。点灯しているサインもない。どこにホテルがあるのかもわからない。歩道は険しく高く、道は雨で濡れている。闇の中で何度も道をわたるのは危険だ。

「わからず歩くのはバカげている!このまま延々と歩くだけになるよ!」ビッグドッグは怒りだす。誰かに訪ねたくても誰もこんな夜中に町を歩いていない。と思うと、向こうのほうから老人が!

「Donde esta un hotel」と訪ねても、なかなか通じない。
何故なのだろう?ビッグドッグはかなりスペイン語ができるし、メキシコでは不自由した覚えがないのだが。何度も繰り返すとやっとわかったようで「ホテル? あっちへフニャララフニャラ〜」と彼の返事もまったく理解できない。私が理解できないのは当たり前かもしれないが、ビッグドッグも?困ったもんだ。これで 6週間?!

「ねぇ。本当にこっちだって言ってた?」また数ブロック歩いてもホテルらしきものはまだ現れない。
「何いってんのか、ほとんどわかんなかったんだよ」
その頃、道の反対側に中年の男が。でも、酔っぱらいだと気づいた時にはもう遅かった。意味不明の言葉をレロレロと叫びながら、我々の後をつけてくる。そして、酔っぱらい仲間も動員。二人の怒鳴る酔っぱらいにストーキングされながら、さらに闇のアラェラをうろうろ。

「あ、公園だ!」メキシコでは公園が町の中心で公園の近くには何でもある。同じ中米。コスタリカもそうかも!
「あ。そしてあそこに交番が!」

交番のお巡りさんたちは「ホテル?あっちにあるよ」と教えてくれ、また数百メートル歩くとやっと「ホテル」の看板がうっすら見えてくる。看板の下にはドア が。そして、そのドアからはすごい傾斜の階段があり、階段を上りきると鉄格子の窓と別のドアが。しかし、階段を上ると、ここがどういうホテルなのかがわか る。ロビーには怪しい女性と彼女たちの「お友達」がイチャイチャしている。なるほど。そういうホテルなのね。でも、料金は安いし、案内してくれた部屋は小 さいけど静かだし虫もあまりいなさそうなので、いいじゃない!バックパックを降ろしロビーに戻り、ビールを通じないスペイン語で買うころには女性たちとお 友達は消えている。

長い一日だったけど、いい冒険の始まりだ。

10月31日
失われる楽園

パン・アメリカン・ハイウェイとしても知られているハイウェイ1はアラスカから続いている南北アメリカ大陸をつなぐ重要なハイウェイだ。カリフォルニアで は海岸に密着しているこのハイウェイはコスタリカでは国の背骨近くまで来ている。とは言っても、アメリカ大陸はここでは200キロ以下までスリムダウンし ているので中央も海岸も80キロくらいの距離だ。我々は北のリベリアという町までこの道だ。

アラウェラ郊外から美しい山々が続く。深い緑のトロピカルジャングル風だが、ここらへんは涼しい。コーヒー農園、バナナ畑、シダやツルや見たこともない不 思議な木々に見とれてしまう。つるつるでしなやかにカーブしている幹や枝の不思議な木は銀色のナオミ・キャンベルとグレース・ジョーンズが踊っているかの ようだ。なんて美しい場所なのだろう。コーヒーCMを見ているみたい!美味しいコーヒーが飲みたいよ〜!

せっかくの自然を台無しにしているのが目の公害、広告だ。リゾートや土地、ホテルなどを宣伝する看板。家庭用品を宣伝する看板。自然の美と対照的だ。かな り商業的な国なのだろう。メキシコの中央からずっと南まで旅した時は広告やサインのなさに驚いたのを思い出した。メキシコの人たちは金儲けにあまり関心が ないようだ。(金儲けしたいメキシコ人はもうすでにアメリカへ入国しているのだろう。)だからビーチにいても物売りなどほとんどやってこないが、コスタリ カの空港のシーンから想像するとここはアジアのビーチのようかも。

もうひとつがっかりさせられたのがコーヒー。途中でレストランに入り、コーヒーを頼むと、インスタントだ。
「中南米のほとんどの国ではそうだよ」と35年前に中南米を旅したビッグドッグが教えてくれる。
「コーヒー農園がこんなにあるのに?」
「本物は輸出されてしまうんだよ。ま、今はだいぶ変わっていて町にいけばちゃんとしたコーヒーを出す店もあるだろうけど」
私のランチはアロース・コン・ポジョ。チキンライスだ。茶色く、美味しそうなのに、実は油っこいチャーハンのようだ。しかもあまり味がない。ビッグドッグ の「カサド」の方がなんとなく美味しそう。大きなお皿に小さなステーキ、目玉焼き、白いご飯の小さな山、蒸した瓜、マカロニサラダに揚げたバナナの親戚、 プランターノ。
私の皿にはチキンライスの他、フライドポテトとマカロニサラダが付いている。
「わお。炭水化物オーバーロード!」

ハイウェイ1はゆっくり標高を下げながら、海岸よりへ降りていく。空気もだんだんと蒸し暑くなり、共に観光客向けの看板も増える。かなりの土地ブームのよ うだ。我々がステイするコンドミニアムも友人家族が去年初めてコスタリカに来た時、いきなり買ってしまったらしい。未完成のコンドミニアムだったのに!そ の上、近くの土地まで買ってしまった。カリフォルニアはごく最近、住宅コストが下がっているが、不動産は全国的にまだまだべらぼうに高い。他がとても安く 感じてしまうのはしょうがないけど・・・コスタリカの土地も不自然に高い。要するに北米からの観光客が地価を上げてしまっているのだ。これは地域の経済に はいいかもしれないが、社会にはよくないはず。

私たちが大好きだったフィリピンのある島も観光客に発見されてからどんどん地価が上昇し、元々住んでいた島の住民たちは住めなくなり、島を離れる家族が続 出した。土地を売り、儲けられればいいのだが、そうでなければ島にいても物価が高すぎて生活できない。最悪の現象だが、世界中の「楽園」はこうして消され ている。

「73年に来た時は最高だったのに」とビッグドッグは何度も繰り返す。でも、そういうバックパッカーが最初に訪れたから今の観光過剰の国になっているんだ よ!自分たちは汚されていない楽園を楽しんできたからいいけど、その後には観光客の津波が待っているんだから。今やコスタリカの海岸はありとあらゆるグリ ンゴやグリンガ(主にアメリカ人のことだが、白人全体に対して使われる言葉)がいる。ドレッド頭の若者やサーファーから派手なリゾートウェアのおじさんお ばさん、年金で暮らす老人まで。

6週間のステイなので、リベリアのスーパーマーケットで食用油やお米、小麦粉などキッチンの必需品を買い、海岸へ向かう道に入る。ハイウェイ1は国道なの に2車線だったが、今度の道はもっと狭く、海岸に近づくにあたりクネクネしてくる。でも、両脇は建設ラッシュと不動産ブーム。For Saleの看板だらけだ。土地を所有している人たちはウハウハなのかも。バカげた金額で売れちゃうのなら、早く売らなければ!という感じのフィーバーなの かも。

「早く、あんた。豚小屋を壊して、その土地を売るのよ!いつまで続くかわからないでしょ!」そんな会話が小さなブロック造りの家から聞こえそうだ。

友人のコンドミニアムも建設現場の中心にある感じだ。その一角だけが完成されているのだが、まわりは建設中の建物だらけ。妙なゴーストタウンの空気が流れ ている。ゴーストタウンは過去の栄光の面影しか残っていないので不気味だが、ここは未来の栄光の面影・・・というか期待だけがある不気味さだ。6週間もこ こにいるの?大丈夫?ま、嫌になったら、山の方にでも行くか。

まず、リベリアの豪雨の中で後ろの席に放り込んだ食料を友人のユニットまで運び、次にトランクに入れた荷物を・・・と外に出ると、ビッグドッグが車から手ぶらで歩いてくる。

「ね、もう荷物運んだの?」と訊いてくる。なんて変な質問!買い物を持ち込んだだけじゃない。見ていないうちにあの重いバックパックを二つも運べる訳ないじゃない。なんでそんな質問をしてくるのか、理解できなかった。
「見て」とトランクを開けて見せてくれる。何も入っていない。最後に見た状況—二つのバックパックにそれぞれのラップトップなどが入ったメッセンジャーバッグ二つずっしり詰め込まれた状況—とはあまりにも違うので唖然とし、しばらくぼんやり眺めてしまった。
「スペアタイアは?」つまらないことを訊いてしまう。
「タイアもジャックもあるよ」

部屋に運んだ食料。私の小さなショルダーバッグ。ビッグドッグのポケットの中の財布。今、着ているもの、履いているもの意外はすべて一瞬にして消えてしまった。

失われるすべて

「私は物にも、人間関係にも、あまり執着心がないの」といつも言っている罰なのだろうか?
「マリブ火災の難民はニューオリーンズとは別格よ。マリブの人たちは金持ちだし、ちゃんと保険もあっただろうから、全然違うわ」と言ったりする私の被害者に対する残酷さがあだとなってしまったのだろうか?
盗難は事故と同じようなものなのだが、どうしても自分を責めてしまう。親しい人を失った後、7つの感情をステップごとに体験するというSeven Stages of Loss/Griefというのを読んだことがある。罪悪感もその一つだ。だけど、最初はショックだ。 特に何も感じない。

次が不信。
「もう一度トランクの中、見てもいい?」
「どうぞ」
私は何もかも盗まれたということが信じられない。次にトランクを開けたら、魔法のように荷物が戻っているのでは?と、バカな考えだとわかっていても開けて見たくなる。イルージョン・ショーだったら、荷物が増えているのに、やっぱり何度開けてもすっからかんだ。

「40年以上旅しているけど、こんなの初めてだよ」ビッグドッグも首を振る。私も生まれて間もない頃、母に連れられ神戸からロサンゼルスへ船で渡っているから半世紀近く旅しているけど初体験だ。旅中に物を無くしたり、盗まれたことなどこれまでなかった。
「40年分が一気に来たって感じね」
「でも、どこで、どうやって?」
レンタカーをゲットしてから3回しか止まっていない。途中のレストラン(オープンエアの店なので、車は目の前)ヘンなショッピングセンター(セキュリティ がいる駐車場でしかもセキュリティの真ん前に駐車した)そして最後のスーパー(駐車スペースは銀行の前で、ここでもセキュリティの前だった。)
私はスーパーの駐車場が目に映った。あの混雑と豪雨の中は絶好のチャンス。ビッグドッグはレストランで彼がトイレに行っている間を想像していたようだ。私が車に背を向けていたスキに?トランクをこじ開けた形跡もないので、マスターキーを使った盗難なのだろうか?

よくわからないが、なんだか自分たちにも責任があったような気になってしまう。
「私たちのような旅行者やリゾートを目的にする観光客が多すぎるからこういうことになるのよ。地元の経済をぐちゃぐちゃにして、地上げにも繋がっているし・・・」
「でも泥棒=貧乏人じゃないよ。貧乏だから盗むのではなく、モラルがなく、レイジーだからだよ」
意見は違っていても、お互いを攻めないだけましだ。

なくなった荷物にはビッグドッグのパスポートも入っていたので、まずコンドミニアムの管理事務所まで行き、大使館に連絡しなければ。また狭い道をガタゴトと走り、隣町まで行く。

まだ雨期なので、空もどんより。ビーチは小さく、ミリタリーグリーンだ。魅力的とは言えない。アジアの小さなビーチタウンのように道の両側は所狭しと土産屋などがギッシリ。そして、ここでも「タクシー?」「ホテル?」などのぽん引きの声が。

管理事務所のジーナは何度も「I'm so sorry」と一緒に悔やんでくれる。既に
大使館の電話番号などを調べてくれていた。そして、電話が終わると、地元の交番まで連れていってくれる。田舎の交番なので、想像通り、のんびりとしてい る。盗難なんて大したことではないのだろう。でもジーナは「サンホゼ近くでやられたと思うわ」と言う。「アメリカから戻って1週間もしないうちに繁華街で バッグを盗まれたわ。だから、ここへ引っ越してきたのよ。ここはとてもトランキーロだし」

コンドに戻る頃はもう真っ暗。今夜はここに泊まり、明日早朝、リベリアのOIJ(FBIのような機関)へ寄り、サンホゼに戻らないといけない。アメリカ大使館は午前中しかやっていないので、どうしても、またサンホゼで一泊しなければならない。

「生きていることに乾杯!」ビールを二つ開け、乾杯する。生きているだけでなく、身に危険もなければ怖い思いもしていない。これは乾杯すべきことだ。だけ ど、眠れない夜だ。外で大雨が振る中、天井を見上げながら頭の中で失った物のカタログを作っている。たぶん、ビッグドッグも。どうしてラップトップをバッ クアップしなかったのだろう?何故あんなものを持ってきたのだろう?そう。これが次の段階なのだ。後悔。

11月1日
ハイウェイ1・・・アゲイン

昨夜遅く、洋服を洗濯した。このまま何日過ごさなければいけないかわからない。管理事務所を出てから歯ブラシも新しく買ったので歯は磨けても、ヘアブラシは買っていないので、二人とも頭は鳥の巣だ。化粧品もないので、洗いざらしの顔。眉毛もない。

そんな姿でリベリアのOIJへ。昨日の交番よりはなんとなくまともだが、みんなとてものんびりしている。間違っても刑事ドラマの刑事ではない。肝っ玉母さ ん風の女性が我々を聴取した。彼女の英語とビッグドッグのスペイン語は同じレベル。70%くらい通じているのだろうか?私のインチキ・スパングリッシュが 余計に混乱を招いているようだ。

「リベリアのスーパーの駐車場?ああ、あそこは危ないわ。しょっちゅう車から物が盗まれているわよ。セキュリティも見て見ぬ振りをするし」と彼女と男性刑事たちは私たちに教えてくれる。遅すぎるのだけど。
「でも、さ。知ってんだったら、なんだおとり捜査とかやらないの?」みんながいなくなってからビッグドッグにささやく。
「中南米中旅しているけど、こんなの初めてだよ!コロンビアよりひどいよ」戻ってくる刑事たちにビッグドッグは興奮していう。
「コロンビア人も大勢いるわ」と肝っ玉母さんが教えてくれる。たぶんニカラグア、ベネズエラ・・・あちこちの土地から泥棒が観光客を狙って来ているに違いない。でも、そういう人、送り返せないの?

リベリアからサンホゼへUターン。またまた巨大トラックでノロノロの道だ。BDはチャンスがあると激しく追い越し続ける・・・警察に止められるまで!
「免許書お願いします」
BDはカリフォルニアの運転免許書を取り出す。財布の中にあったので、これは運良く盗まれていない。
「パスポートは?」
「No hay! 盗まれたんだよ!」
「全部!Todo! No hay ropas! No hay dinero! No hay makeup! No hay眉毛! No hay nothing!」またまたスペイン語、英語と日本語で私も騒ぐ。
「気をつけて運転してくださいね」と注意しながら、警察は免許書を返してくれる。
「これ、使えるね」BDは笑いながら走り去る。

11月2日
人生の一部を三時間で取り戻す

サンホゼの端にあるゲストハウスを見つけ、私のバッグの奥の方に隠してあった緊急用資金で宿泊。もうほとんど現金はゼロ。

「カードがあったならカードで支払えばいいじゃない」と思うかもしれないが、身分証明書となるものがない。(カリフォルニアの運転免許書は身分証明書とし て扱ってくれないのだ。)ATMでキャッシュをおろす、というのもあったのだが、コスタリカで盗まれたものを買い直す気もなかった。洋服だってアメリカに 戻ればたくさんあるし、数日間このままでも全然オーケーだった。

逆になんだかすっきりしていていい。朝の支度なんて起きて、昨日の服を着るだけだ。ヘアブラシもないし、チョイスもない。楽しくなってきた。「みんな、本 当に望んでいるものが与えられる」といつも言っているけど、その通りなのかも。盗難という悲惨な経験はともかく、すべてを捨てて、新しくスタートするとい うのは悪くない。

しかし、取り戻さなければならない物もある。パスポートとか。

アメリカ大使館は相変わらずの行列だったが、アメリカ人は列で待たなくてもいいので、すぐに入り、「国民サービス」の窓へ。他にも2−3人パスポートを盗 まれ、再発行してもらっている観光客がいる。一人は顔がピカピカの若い男性。ヤコ・ビーチに行き、最初の5分ですべて盗まれてしまったとか。
「レンタカーがパンクしても道ばたでタイア交換しちゃいけないらしいね」誰かがいう。
「そうそう。手伝う振りをして荷物を全部盗んだり、強盗したり・・・」
観光客目当ての犯罪は思ったより多いようだ。

窓口の係があまりにも親切で私はビックリ。
「大丈夫?お金必要だったら、貸してあげるよ」
これは政府のポリシーではなく、個人の親切。
「日本のお役所だったら、怒られていたよ。パスポートを盗まれたのは、こんなとこに来たからだ、とかね」日本の「偉い」人たちは同情心に欠けている方が多 い。(昔、自転車が車にあてられ、あの信濃町の大きな病院に救急車で運ばれた時も医者に叱られた。「あんたの年で自転車なんて無理だよ」って。かなりのト ラウマだった。)

数時間後に新しいパスポートがビッグドッグに渡された。
「ゲッ。ひどい写真」
「犯罪人みたい!密輸人かなにか!」笑ってしまったが、この二日間を思えば、そんなにひどくはない。
「鏡がないんだから、少しスタイリングしてくれてもよかったのに」と私を攻める。
「臨時パスポートだからいいじゃない」


11月14日
人生をゆっくりと取り戻す

あれから2週間。パスポートを確保したら、そのまま空港へ直行し、その日のうちにロスへ。それまでは「このまま、ここにいようか?」と悩んだりもしたのだが、あまりにもロスが大きかったため、戻らざるを得なかった。

ラップトップには莫大の量のデータがあったが、ビッグドッグは私のラップトップにバックアップしていたので、何も残っていない。ロスにあるのは4年前の バックアップだ。私も最後のバックアップが去年の11月で少しはマシだと思ったが、このディスクが読み取れない。結局2年半前のデータが一番最近のになっ てしまった。

犯人がどういう組織なのかわからないし、ラップトップがどういうルートでどこへ行ってしまうのかもわからないので必死にオンラインアカウントのパスワードなどを変更している。カードなども再発行してもらい、各種PINも変更した。

家の保険が盗難品をカバーすると知り、ビッグドッグは荷物を細かくブレークダウン、表にしている。でも、私はもうどうでもいい。後ろを見るのが大嫌いなので、盗まれた物のことを考えるのも嫌だ。早く前に進みたい。このイライラの日々はいつまで続くのだろう?