Tuesday, July 31, 2007

ご無沙汰です!

2週間のロードトリップから先日戻ったのだが、英語版ブログをアップデートするのにえらく時間がかかってしまった!日本語版も時間がかかるので、少しずつアップデートするね。


マゾな我々

夏休みの家族ドライブ旅行はアメリカ、そして特にカリフォルニアの伝統のひとつだ。家族全員、そしてペットの犬も車に詰め込んで、遠い親戚の家、海や山、アミューズメントスポットまたは国立公園などを目指し旅立つ。こういうロードトリップは飛行機や電車の旅と異なり、目的地より道のりそのものがアドベンチャーになることが多い。

私も子供の頃、何度も体験したロードトリップ。ある時は父親のセダンで生まれて数カ月の弟も連れてロスからグランドキャニオンまで。(もちろん、途中ラスベガスにも泊まったが、私と弟はモーテルでベビーシッターとお留守番。)ある時は日本から出張で渡米した叔父を連れて、ヨセミテ国立公園へキャンピングカー旅行を。当時の日記にはおじさんが何回車酔いで吐いたかが記されている。10歳の私はこういうディテールが好きだったのね。今もあまり変わっていないような気がする。

わざわざ7月に、しかも内陸が猛暑でバテている時、旅をしなくてもよかったのだが8日の昼頃、ピックアップトラックにキャンピング用具を詰めて我々も出かけたのだ。

「猛暑のピークはもう過ぎているかも」
「甘いんじゃない?」
「じゃあ、どうして牧場を離れるの?」
海岸付近のみが心地いい気温なのだ。

牧場を離れてから30分もたたないうちに熱風地帯に入った。そして、この暑さはほぼ2週間も続くことになる。


大混雑の国立公園

フレズノを超え、シエラネバダ山脈に近付くと、車の量が多くなる。大きなバン、小さな車、多種多彩なキャンピングカー・・・みんなヨセミテに向かっているのだ。

日本からの旅行者にも人気のヨセミテ国立公園は氷河がえぐり出した谷と高くそびえる絶壁から出来ている豪快な景色でも知られているが、多くの観光客はヨセミテバレーとその周辺のいくつかのスポットをまわるくらいだ。本当に堪能するには数日間、荒野をハイキングしてその中で寝泊まりしないと。(と、分かっていながら、今回、我々は極端に短い一泊だった。)

大勢の車たちと一緒にずるずると谷床に下がり、一番奥のキャンプグラウンドへたどり着くと、そこも旅行者でごった返している。オンラインでキャンプスポットを予約したので実際にどこらへんなのか分からなかったが、入り口近くの静かな場所でホッとした。他は巨大なキャンピングカーや発電機(!)でいっぱいだったが、私たちの両側は不思議な3人組(若い男一人と中年女二人のテント族)と空スポット。入り口のサインでは満員のはずなのだが。3人組の関係はよくわからないが、ダグラスファー(米松)に囲まれて彼らはハープ、ギター、ドラムを静かにプレーし、ナイスな雰囲気だった。たぶん、彼らもまわりからの騒音が気になっていたに違いない。

まだネイティブアメリカンしか住んでいなかったヨセミテはどんなところだったのだろう?最初の違法移民が東から押し寄せてきた時は?アーワー二族は彼らを歓迎したのだろうか?後で後悔したのだろうか?まさかこんな白人の津波にやられてしまうなんて。そして、現在の世界中からの観光客を見たら、気絶してしまうだろう。

何十年も無知な観光客が野生の動物に食べ物を与えてしまったので、今は食料に関してどこの国立公園も非常に厳しい。人間=食料という方程式を覚えてしまった熊たちは凶暴になり、結局はレンジャーたちに殺されてしまうことになる。幸い、ヨセミテのキャンプ施設には防熊用の金属製ロッカーが各キャンプスポットに設置されている。

「なんでこんなにたくさん、訳の分からない食べ物を持ってくるんだ!」ビッグドッグは荷物をトラックから降ろしながらブーたれている。
機嫌を取り直すためにピクニックテーブルで私はマルガリータを作り始める。ライムとテキーラ、ひとつまみの砂糖、クーラーで解けなかった氷。ツマミはスイカとケーソセコというメキシコのチーズ。ひどい組み合わせだが、ビッグドッグもなんとなく落ち着いてくる。

夕食は安い折畳式グリルで焼くハンバーガー、ベイクトポテト、ローストピーマンとブロッコリーのオリーブオイル和え、トマトスライスだ。そして、夕食後は散歩。ああ、なんてピースフル!といいたいところだが、夏のヨセミテだ。キャンプ場の子供たちがはしゃいでいる。叫んでいる。喧嘩している。自転車を乗り回している。キャンプ場の灯りが消え、暗闇が深まるまで。でも、ようやく子供たちの叫び声も消え、発電機も消され、辺りは静かに。アーワーニー族しかいなかった時代のように。


別世界

ヨセミテを東口から出て、タイオガパスという深淵を通り抜けると別世界が待っている。不毛で平な砂色の世界だ。モノ・レイクだけが遠く青く輝いている。

ネバダは暑い。サンホアキンバレーの暑さなんて比べものにならない。脳が干涸び、理性が吸い取られ、時間軸が歪むほどの熱風だ。20分のドライブが2時間に感じる。低い丘には麻疹の湿疹のようにセージブラッシュがプツプツと育っているが、彼らもカラカラに乾燥している。タンブルウィードの幼虫のように孵化するのを待っているのだ。そして、誕生後は風と共に去りぬ次の人生が始まる。

アメリカの凄いところはいたる場所に町があること。こんな不毛地帯にも小さな町が点々としている。軍事基地の町。カウボーイタウンの生き残り。炭坑村。数件しかない集落。何故?こんなところに?

ウィネマッカはラスベガスやリノの規模には及ばないがネバダ州では大きな町だ。回りには何もないが、町そのものはビルやホテルや店やカジノで賑やか。観光用パンフの表紙はオランダ?デンマーク?どこかヨーロッパの民族衣装を着た女性たちが踊っている写真だ。

「バスク?どうしてピレネー山脈からこんなところへ移民してきたの?」私には不思議だが、この町は大きなバスク人口を誇る。何が彼らをここまで引き寄せたのだろう。

「Cheap, Cheaper, Cheapest」をモットーに旅している我々はここでも一番安い宿を探す。3軒目で値段を訊くとフロントの髪の毛が口紅と同じピンク色のおばあさんに$33だといわれ、ステイすることに。部屋はボロく、トイレは右下に傾いている。テレビのリモコンは行方不明。隣の部屋にはエルコという、これまた何もない町からウィネマッカへ引っ越してきたばかりの男がいる。鉱山で働くらしい。

「ワ〜イ!ウィネマッカで一番安いモーテルだよ、ここは。たぶん!」
ビッグドッグも私もハッピー!

Saturday, July 07, 2007

七夕

子供がいないとイベントに疎くなってしまう。正月、クリスマスもいつもと同じ。誕生日もただの日。ということで、今日は七夕だが、日本にいるころから特に何かするでもなく、近所の商店街の飾りをみながら「終わったらゴミになるのに〜」なんて文句を言ったり。

でも最近、何故か自然の区切りを祝う行事って魅力的だなぁ、と思うようになっている。牧場にいるからだろうか。

となりの造園所から笹を貰ってきてもいいのだが、今日はオークの枝に短冊を飾ろう。願い?健康、冒険、そしてこの乾ききった州に雨・・・
だったが、今朝はなんと小雨が降ってくれたし、明日から新しいロードトリップだ。な〜んだ、願いはもう叶っているじゃないか!ということは、もっとビッグに「世界平和」とかを祈れ、ということなのかもしれない。

「もう少し降ってっくれれば、美味しい草も増えるのに」とタンザーも思っているに違いない。

Wednesday, July 04, 2007

Independence Day

また日本人がホットドッグ早食いのチャンピオンになるのだろうか?

今日は独立記念日。みんな旅に出たり、バーベキューパーティをしたり。町の公園などでは花火大会があったり。国歌の"rockets red flare"を再現するため、独立記念日には花火が付きものなのだが、作詞家Francis Scott KeyはWar of 1812の戦争中に書いた詩で独立戦争と何の関係もない。(そして曲は古いイギリスのドリンキングソングだとか。)

中央カリフォルニアではここ数日「絶対に花火はあげないように!花火が見たければオフィシャルな花火大会へ!」という警告がニュース番組で何度も流れていた。今年は去年に増しての干ばつで土地は乾燥しきっている。牧場の間を流れる小川もかなり小さくなっているので、私もバカどもが牧場の裏の山に登って花火を打ち上げないか心配でしょうがない。

Sunday, July 01, 2007

Be Happy

馬に足を思いっきり踏まれたり、さらにはしゃぐ犬たちに踏まれ、雑草や樹のトゲに切り裂かれ、あちこちを虫に刺され、締めくくりに家の脇の水道管が破裂し小さな洪水に。とんだ一週間だったが、お陰で(?)昨日は一日土方をやり破裂した水道管を直し、新しい蛇口を二つも設け、プチアップグレードを果たすことに。

それにしても溝はトレンチャーという道具を使えばそれほど大変ではないものの、そういう牧場系の道具なんてない我々はスコップと巨大なピック、人力で掘った。

背中、腕、腰。体中の筋肉が「やめてくれ!」と叫ぶ中「アーミッシュみたい!」と笑いながら(実は昔の映画の囚人のように)溝を掘れるというのは不思議だ。幸せである証拠なのだろうか。空、太陽、花々、木々、虫たちやトカゲたちもなんだかとてもハッピーに見えるのだ。