Monday, March 11, 2013

ホンデュラスの端っこ

コパン・ルイナスはホンデュラスの西の角に位置する小さな村。「コパン遺跡」という意味の村の名前どおり、遺跡のすぐとなりにある。ほとんど何もない村だ。たくさんの宿以外は。でも、グアテマラとまた違う雰囲気なので面白い。ここはカウボーイカントリーだ。牛が多い。ということは牛肉も多い。(それに対し、グアテマラはチキンランドだ!)屋台の食べ物屋は美味しそうな匂いのビーフを焼いている。グアテマラでは高価だった牛乳もここではもっと安く買える。カウボーイハットやブーツ姿の男たちが目立ち、村人たちもマヤ系というよりは典型的なラティーノ、ラティーナだ。レイドバックさ、フレンドリーさはグアテマラと変わらないが。 

コパン遺跡もレイドバック。ここはチチェン・イッツアやパレンケのような人気遺跡ではない。ツアーグループもいるが、まったく混雑した雰囲気ではない。静かで落ち着いている。コパンは彫像や絵文字だらけの柱などで有名で、貴族、猿、カメ、ワニや蛇などを表す装飾が多い。まわりの林にはコットンシルクツリー、セイバ、ガンボ・リンボ、杉、イアポッドツリーなどなどこの地域独特の植物が。そして入り口付近にはコンゴウインコのえさ場があり、何匹もの巨大でカラフルなインコがリンゴや木の実を食べている。赤と青と黄色のコンゴウインコはなんとなくチンドン屋チックだ。でも飛ぶ姿は優美でダイナミック。巨大な翼幅に長くカラフルな尾。マヤの人々が太陽の神のメッセンジャーだと信じるわけだ。 

畑ひとつ挟んだ先にラス・セプルトゥラスという遺跡もあり、ここはちょっと下のランクのお偉方の住宅地だったとか。酋長、貴族や司祭たちはコパンのメインの寺院のまわりで暮らしていたが、ラス・セプルトゥラスはシャーマン、筆記者やその他のVIPの場だったそうだ。一般の人々の家は木造だったため、すぐに消えてしまったが、お偉方たちの住居の土台は石造で今も残っている。同じ家系が代々続いたのだろうか?それとも外部からの侵略者に何度も征服されていたのだろうか?はたまた、元の家が滅び、廃墟となった町によそ者が勝手に住み着いたのだろうか?住居も寺院同様、何百年もの間、どんどん建て増しされていたのかもしれない。しかし、そういう時代ももう終わっている。今は静かな遺跡だ。マヤ時代の幽霊とトカゲと鳥たちだけの。



Sunday, March 10, 2013

国境

グアテマラで運転するにはかなりの覚悟が必要だ。いや、覚悟というより狂気が必要なのかもしれない。だが長距離バスの旅が無理なビッグドッグなのでグアテマラをもっと知るには運転するしかない。狂気のさたでも。 

幸い、メキシコでかなりラテンスタイル運転もナビゲーションも鍛えられていた。空港近くのレンタカー屋で車をゲットしてから比較的スムーズにグァテ(地元ではグアテマラシティをこう呼んでいる)を通り抜け、サンホゼ・ピヌラへ曲がりマタケスクイントラ方面の標識どおりに行った。道はキレイなゴルフ場の脇を通り、、、行き止まり。ふむ。ちょっと前にあった矢印の方向へ行くべきだったのだろうか。戻り、そっちへ行ったが、永遠と舗装されていない田舎道だ。これもヘン。 

向かってくる車を止め、中の女性たちに聞いた。「アトランティコ・ハイウェイへ出るにはどう行けばいいの?」いろいろ指差し、早口で説明するが、彼女たちのスペイン語がよくわからない。「じゃあ、私たちの後をついてきて」と合図するので彼女たちの後を追ったが、サンホゼ・ピヌラへ戻ってしまった。最初の道は工事中で回り道が必要なのだろうか? 

「あっちよ」と女性たちはいい、去ってしまった。「あっち」はパレンシアという町だ。パレンシアを通り抜けると、、、グアテマラ・シティ方面の標識が。オーノー!単にぐるぐる同じところを回っているんじゃないの? 

「グァテまで戻れってこと?!」グァテから出られなかったらどうしよう。いつまでもグルグル、同じところをまわるドジな観光客の映画を想像してしまった。頭の中のシナリオでは観光客はいろいろなローカルドラマに巻き込まれる。結局、ハイウェイまでたどり着くが、思っていたよりかなり遠かったので頭の中のシナリオはどんどん膨らんでいた。 

アトランティコ・ハイウェイは低い盆地へ下がっていき、景色は乾燥している高地からトロピカルな低地へと変わる。ヤシ、バナナ、農園、、、山の間を縫う川に平行して走る道路だ。 

回り道のため今日中のホンデュラス入りは断念。メキシコもグアテマラもハイウェイ沿いに「オートホテル」と呼ばれるラブホテルのようなものがある。直接ゲレージに入り、インカムで従業員と話し、誰にも会わずに部屋に入れるモーテルだ。部屋はどれも窓なしだ。我々は長距離トラック運転手用のモーテル・アメリカという宿を選んだ。ベーシックな道ばたモーテルのコンクリートの部屋に硬いベッドが二つ、トイレとお湯の出ないシャワーのみ。でも窓はある。人、犬、自家用車やトラックの音が子守唄。 

長居するような場所ではない。次の朝、ホンデュラスの国境へ向かう。 

エル・フロリド国境。どう通過するのかよくわからないが、前の巨大なトラックの後をついていく。まずは最初のチェックポイントを通過。次のチェックポイントで車両は何かの液でスプレーウォッシュされる。(水なのだろうか?それとも何かの消毒液?)そこでスプレーしている男が書類をあっちのビルまで持っていくよう教えてくれる。ビッグドッグはその事務所で書類をみせ、31ケッツアル払い、何らかの許可書を貰ってくる。第二チェックポイントはこれでオーケー。パスポートチェックもなければ何もない。世界一簡単な入国じゃない?
トラックのとなりに我がレンタカーが
じゃなかった。

実は世界一簡単な入国は帰り、ホンデュラスからグアテマラに(同じ国境で)入国する時だった。誰も何も見ない。次々と「はい、どうぞ」とどのチェックポイントも通らせてくれるのだ。こんな国境、あっていいの?
グアテマラに向かう荷物の山

Sunday, March 03, 2013

車輪のない文化:チチカステナンゴの市日

中南米にはたくさんの市場がある。大体が決まった曜日に開催される週一の市場だ。中でもチチカステナンゴの市場が世界的に有名だ。グアテマラ高地の小さな町だが彼らの週二回の市場はスーパー市場。 

たぶん、何百年も山々の村から毎週、村人たちがこの町に集まり、最初はグッズを交換、後に売買するようになったのだろう。ご存知のようにマヤ文化には車輪というものが存在しなかったので全ての荷物は背負って運ばれた。

我々がチチカステナンゴに到着したのは市日の前日、土曜日だったが既に中心は屋台や露店を準備する人々でごった返していた。巨大なトラックは信じられないくらい狭い道路を行き来していた。ジャンボサイズのタンカートラックは坂道を下り、牛でいっぱいのピックアップトラックをバックさせていた。お互い同時には通れない。別の坂道では大型トラックがつるつるの石畳を登れない。タイヤは空回りし、ずるずると下がって行く。この町では車輪なんてない方がいいのかも。 

どこを見ても運び屋だらけ。長い竿、大きなテーブル、山積みの箱を運んでいる人だらけ。少年たちは重そうな木のテーブルを背負い、険しい坂道を登っていく。小さな姿はテーブルの下に隠れ、遠くから見るとテーブルだけが浮いている。マジックショーのように。同じ柄のスカートをはく女性たちは布の山を頭の上にのせ、人ごみの中を縫っていく。色とりどりの生地、繊細な刺繍、鮮やかな青果、派手なお面などの民芸品。色彩のトリップだ。 

テント村の中の屋台で食べる夕食はグアテマラ式定食。必ずご飯、黒豆のピュレー、トルティーヤとメインの肉類があり、それに小さなサラダがついていたり、サツマイモの味に似ているプランテインというバナナがついていたり。今夜の私の定食はバーベキューリブだ。小さなリブが数本、世にも美味しいトマトソースで味付けされている。トマトソースは甘味と酸味とうまみがいい感じに合わさっている。ビッグドッグのはいつものようにカルネアサダ、グリルされたビーフ。食べ終わるともう8時過ぎだが市場の準備はピークのようだ。 



市日は視覚、聴覚、嗅覚、、、感覚すべてのお祭り。人ごみ、騒音、匂い、色彩。異様な雰囲気だ。売店の店員たちは客を呼び、教会の外にあるスピーカーからは大音量で音楽が流れ、中からは歌声が聞こえる。お香の匂いは焼き肉、排気ガス、ほこりとバッティング。女性たちはみな派手な刺繍で飾られたブラウスを着ている。よく見ると、スカートもカラフルな刺繍入りだ。老女たちは白い髪の毛をピンクやオレンジのリボンでまとめ、お香が入ったカンを振りながら跪いて教会の入り口へゆっくりいく。 

市場は今や観光スポットでもある。大型観光バスは朝から各国の観光客を吐き出している。彼らのためのお土産屋も多い。美しい刺繍のベスト、手織り布で作られたバッグ、民芸品などなどを売るお店はあちこちにある。いや、ありすぎる。同じようなものを売る店がこれほどあってどうやって儲かるのだろう。お店だけじゃない。商売の空気に感染させられたおばあさんは小さな教会の前にたち、外人たちに粘土で作ったフィギュアを売りつけている。250ケッツアルも出した買う人、いるのだろうか? 

でも、観光客相手は一部だけ。ある道は鶏市場だ。村から持ってきたヒヨコや鶏や七面鳥を売る女性たちで賑わっている。鳥たちは妙に人間慣れしていて、おとなしく女性たちの足下でじっとしていたり、太ったお母さんの脇の下で眠っている。町のはずれには牛などの家畜の市場も。豚やヤギも売っているのだろう。 


また別の道では中古品だけを売っている。あまり整理が行き届いていないフリーマーケットのようだ。テーブルの上には中古の衣類、電化製品、道具などの山々が。かなりの年期が感じられる品々だ。揃っていない靴もある。誰が買うのだろう。「あ、壊れた左スニーカーと同じのがあった!やった~!」という感じなのだろうか。靴を修理する男たち、花を売る女たち。テント村にもその外にも食べ物屋台がいっぱい出ている。歩き売りのお兄さんたちは売店の店員相手にドーナツ、スープ、トルティーヤを売り歩いている。

中心は交通制限され、歩行者専用となっているがまわりの道はバンやトラック、バス、トゥクトゥク(オートバイタクシー)でゴチャゴチャだ。乗り合いバンは帰る客でギュウギュウ詰め。中に入れない乗客は屋根の上に、荷物と一緒にしがみついている。皆、大きな荷物を抱えている。商品、リサイクルされたペットボトル、赤ちゃん、、、 



夕方になると観光客はどんどん消えていく。観光バスに外人が吸い取られた後、お土産屋は店じまいを始め、一瞬ちょっと静まるが、数時間後、またまた狂乱が。市場の終わりの時間だ。店員は荷物をトラックに持ち帰ったり、屋台を閉めたり。早めに終わった人たちは食べ始め、飲み始める。酔っぱらいもあちこち出現。自分の3倍の重さと大きさの荷を担ぐ男たちは忙しく坂道を登ったり降りたり。巨大な袋。山積みの箱。あまりにも大きく背負う時が大変だ。3人掛かりで荷を背中に乗せる。こんなに多くの人間がこれほどの量を持ち運ぶのは初めて見る。しかも、これほどの急な坂で。少年、老婆、若い衆、、、車輪のない国では皆、人間駄獣だ。 

もちろん、今は車輪も車両もあり、荷車で荷物を運ぶ者もいる。だが、荷車は今にも壊れそうなもので、どれも荷物を積みすぎている。引く男と押す男は坂道を上るのに苦労している。これなら背負った方が楽かも、と思ってしまう。あまりに凄い光景なので観光客のオジサンはバシバシ写真を撮っているが、ビッグドッグは違う。彼は黙って見ていられないタイプ。荷運びチームに素早く参加する彼は荷車を一緒に押し始めるのだが、マヤ系の男より大きいビッグドッグなので荷車を引く男は急に軽くなり、なんなんだ、と振り返る。驚きのあまり目がまん丸になるが、男たちは黙ったまま荷車を引き続け、押し続ける。だが他の店員はクスクス、ゲラゲラ笑う。 

荷車は角を曲がり、ビッグドッグもそこでお別れ。 働き者さんたち、アディオス!カラフルなチチ、アディオス!