Sunday, July 30, 2006

片道

先週、片道チケットで成田から(なんとソウル経由で!)ロサンゼルス入り。
「ワン・ウェイ・チケット」ってなんて素敵な響きなのだろう。無限な可能性をイメージさせてくれる。だいたい、人生ってそんなものなんだけど、「目的」にこだわり過ぎて可能性を縮小している。
東京でのワーカホリックな人生にピリオドを打った時「次のステップを探すため」と仕事関係の人たちには言ったが、3年たっても「次のステップ」が何なんだか検討もつかない。というか、このようなわけのわからない人生こそが本当の生き方なんじゃないか、と思ってきた。ラジオDJやプロデューサーになんてなろうと思ってなった訳でもない。流れにまかせていたら、いつの間にかそうなっていただけだ。
そういう生き方とは対照的な人も大勢いる。大学時代の友人なんかは自分が二十歳の時にイメージした人生をそのまま生きている。凄いと思う反面、ちょっとかわいそうにも見える。彼女の想像以上の人生にはならないからね。(想像以下にもなっていないから、彼女はそれで満足なのだろうが。)

しかし、今はあまり哲学的になる余裕はない。東京を離れる前に急に頼まれた映像制作の仕事が明日からアラバマで始まる。(「無職」のわりには今年はよく働いている。このままずるずるとまた仕事の日々に引き込まれないように気をつけないと!)
アラバマ!どんなところなのだろう?私が知っているのはサザンロックグループ、(その名も)アラバマとゴスペルグループ、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマくらいだ。
「クー・クラクス・クランの白い衣装を着た人たちがそこらへんで見かけられるという噂、本当?」
ビッグドッグに訊くと彼は「彼らの衣装はアラバマのお土産屋で売っているよ」と冗談を言う。
冗談だよね?ね?

Tuesday, July 25, 2006

情けない

語学って不思議。高校で数年だけフランスをやってから、もう30年もたっているのに、フランスとフランス語圏のスイスに滞在するだけで記憶の奥に眠っていた言葉たちが浮上してくる。

最初は30年も(ま、正確にいうと、大学の時にパリに数日間、ベルギーに数日間旅行したので、その時以来なんだけど)使っていない言語を話すのが恥ずかしいのと、まわりの人の英語の方が遥かにうまい、ということでなかなか口にできなかったが、少しずつ使っていると忘れていたはずの言葉たちが玉手箱からのように次々と出てくるのだ。なんなんだろう、これは。

対照的に、大学でちょっとだけやったスペイン語はいくらメキシコにいてもちっとも戻ってこなかった。最初っから、脳に焼き付いていない証拠だろうか?(そういえば、真面目に授業にも出席していなかったようだ。貧乏だった私は時々、授業を休み仕事をしていたからなぁ。)

ま、そういうことで、私はかなりいい気になって「あ〜ら、これだったら、数カ月ステイすればかなりしゃべれるようになるかも〜!」なんて思っていたのだが、パリから東京へ戻る前の日のことだ。

ショッピングが大嫌いな私はいつもお土産というものがプレッシャーになってしまう。早目に買っちゃえばそれほどプレッシャーはないのだが、ずっとそんなものを持って移動するのもイヤだし、せっかくの時間を買い物に使うのも・・・と思い、いつも最後の最後まで後回しにしてしまい、ギリギリになって怒りっぽくなりながら、お土産を探しに行く。

今回も同じだった。その上、もうユーロもない。昼間、相棒、Big Dogとベルナールが遊んでいる間、私はゴム草履をペタペタさせながら、パンテオン前の通りにある両替屋さんに走っていった。最後だから少しばかしのドルを両替えしてもらい、ベルナールのバーに戻って行く時、後ろから若い男の人が何か私に大声で何かを言う。
「え?」私は振り向いた。
すると、彼は私の足元をさし、また何か理解不明なことを言う。
「パルドン?」もう一度聞き直す。
また足元を指し、ゆっくりと同じことを彼は言うのだが、まったく理解できない。私は足がどうかしたのか?草履の裏にヘンなものが着いているのか?はたまたよくある犬の糞を踏んでしまったのか?謎だった。
「ごめんなさい。私、フランス語できないの」と謝る。(だったら、さっさとそう言えよ、と自分でも思ったが)
「英語は?」と彼が聞くから「英語なら大丈夫よ」と言ったが、彼は英語で今言ったことが説明できない。(だったら、英語はできるか、なんて聞くなよ!彼も彼だ。)一生懸命「Tomberってなんだったっけ?」と悩んでいる。お互いわからず、笑ってごまかし、別々の方向へ。

バーに帰る途中、一生懸命彼が言った言葉を頭の中で繰り返すうちに、はっと思い出した。

な〜んだ。アレは口説き文句だったんだ〜。そんなことを何度も聞き直す私ってダッセ〜〜。

Tuesday, July 18, 2006

モントリューのベストとワースト

ごめん。日本語で書く時間がないので、知りたい方は英語版へ。

Saturday, July 15, 2006

世界の日本人(モントリュー)

今年のモントリューには日本人のミュージシャンも来ているのだ。
モントリュー・パレス・ホテルでやっているハッピーアワー・ジャズ・ライブでも名前を見かけているし、マイルズ・デイビス・ホール・クラブにも出演しているらしいんだけど、私が実際会ったのはネビル・ブラザーズのギタリスト。
ステージで演奏している姿から東洋人っぽいんだけど・・・と思っていたら、福田眞國さんでした。ライブ後、会場の地下にあるジャズカフェの楽屋で発見!いろいろ話してしまいました。彼はニューオーリンズでプレーしているところをチャールズ・ネビルに発見され、ツアーに誘われたとか。
「福田さんのギターはすごくうまいけど、でも、今夜はサンタナも共演したでしょ。動揺しなかった?」
「そんなこと考えていたら、プレーできませんよ。昔からサンタナの音楽は聞いていて、好きだけど、僕は僕だしね」
やっぱりそのくらいの心がないとね!世界の舞台に立つには。

で、それから数日後、マイルズ・デイビス・ホールで演奏したソイル&ピンプ・セッション。彼らもやっぱり「あんまり考えたら何もできない」と言っていたなぁ。そうかもしれない。演奏する時はそれだけに集中できないといけないからね。そう言っていても、その晩のお客さんはものすごい熱狂ぶりで、彼らの力もバンドの力になったようだ。客はジャンプし、シャウトし、踊りまくり。日本のライブでは見られないような楽しみ方だった。
もっと、もっとS&Pセッションのようなバンドが世界に羽ばたけばいいのに。だって、彼らがモントリューに出演する唯一の日本人バンドだし、たぶん渡辺貞夫やポンタ以来のアーティストじゃないかなぁ。
ただ、日本はある意味温室だから、本当にタフじゃないと海外でやっていけない。S&Pもバンドメンバー以外はエンジニアとレーベル担当のみでヨーロッパツアーを行っている。ローディやマネージャーやその他ケアしてくれるスタッフなんかいない。機材も自分達で運び(勿論、現地スタッフも助けるのだが)管理し、必要であれば睡眠なしで次の街へ移動する。
だから、簡単に「海外でブレークしたい」なんて思っているミュージシャンにはできないことだ。お膳立てられた環境で歌っているような歌手とかには無理。強い意志と体力。これですね。何事も。

Thursday, July 13, 2006

フランス語で相撲(モントリュー)

日が沈むのも遅く、ライブが始まるのも遅いし、終わるのはもっと遅い。毎晩アパートに戻るのは2時とか3時。アーティストたちも5時とか6時までジャムしたり、飲んでいたり。昼間、外を歩いているのは音楽を聞きにきていない観光客か地元の商人。

でも、昨日は比較的早く戻った。1時くらいだったかなぁ。ほとんどつけないテレビをつけたら、なんと相撲の夏場所が放送されていて、アナウンスもフランス語!何言っているのかほとんどわからないけど、フランス語で見る相撲はとても新鮮で面白かった。病み付きになりそう。

もう今や相撲は「世界の」相撲なんですね。

あ、私の相撲好きな友人のブログホームページもチェックしてね。

Monday, July 10, 2006

最終週 (モントリュー)

16日間は長い!フジロックだって、前夜祭を入れても4日なのに、16日間もフェスを運営するなんて、驚異的だ。制作スタッフ、運営スタッフ、大変だろうなぁ。

そういう私たちももう12日間もここにいる。そこらへんのスタッフより長くいるし、毎日会場に来ている数少ないスタッフの一員だ。最初はセキュリティもいい加減なのだが、段々(苦情があって?)厳しくなり、ここのところ楽屋に行くにも会場に入るにもチェックされ、時々、訳の分からないスタッフに止められたりし、ムカつく。

去年はロサンヌのホテルで、モントリューから車で1時間もかかったので、不便だったが、今年はカジノの向かいのアパートにステイしているからとても便利だ。2ベッドルームのアパートは快適だが、インテリアの趣味が謎な部分も。例えば、ベッドルームの壁には写真が飾られているのだが、どれも婚礼関連のカタログかなにかからの写真のようだ。どれもウェディング衣装のカップルだ。特にポスターサイズのカップルの写真は悪趣味。男性は子供のようだし、女性は親違いのお姉さん。額に入っていたサンプル写真をそのまま使っているのだろうか?気になってしょうがない。

ま、それはどうでもいいことだ。ロケーションは最高だから。このようなフェスは同時にいろんなライブが行われているので、チョイスをするのが大変だ。それに会場が離れているから、こっちを見てからあっち、という訳にもいかない。それをやろうとすると何も観られない。

先日はネイ・マトグロッソのライブを観たのだが、何も前情報がない私にはかなり衝撃的だった。ステージに現れたのはかなりおネイな(オヤジギャグ、ごめん!)なマトグロッソ。ピカピカ・シャツをおヘソまで開けて、イギーポップ(または「羊たちの沈黙」の犯人!)のようなクネクネ踊りで登場。でも、ハイトーンのボイスと芸術的な構成、怪しい踊りで魅了されてしまった。伝統的な歌だけかと思っていると、プログレ・ロックのようなナンバーも披露してまたまたビックリ。その後、チック・コリアのモーツァルト・プロジェクトに行こうとしたのだが、カジノについた頃にはもう終わっていた。

土曜日の夜もブラジルナイトでオーディトリアムではカルリーニョス・ブラウン、マルガレッチ・メネゼス、ジルベルト・ジルのショーが行われた。そして、日曜日はサンタナが主宰するドラムナイトのアフリカ系ミュージシャンのショーだって。どのショーも多人種、多年齢の客層に私は感動してしまう。本当に西ヨーロッパって今のアメリカではありえない人種の坩堝になっていて、私にとってとても居心地のいい場所だ。フランス語がもう少しできれば言うことないんだが。

Friday, July 07, 2006

フェスティバルも2週目 (モントリュー)

久しぶりの仕事で忙しく、1日と1日の区別がつかなくなってきた。これはよくないことだ。
スイスも夏時間で、夜の9時半くらいまで真っ昼間、ってカンジだから、どうしても遅く起きて、夜中まで仕事してしまう。コンサートも9時スタートだし、客も8時くらいにならないと集まらないし。撮影に丁度いい時間は夜8以降だから夕方から急にバタバタしてしまう。

それにしてもよく待つ。太陽が沈むのを待ったり。アーティスト・インタビューで待たされたり。サッカーの試合で待たされたり。先日、アーメット・アーティガンのインタビューの時もホテルの廊下、彼のスイートの前で1時間くらい待ったなぁ。イングランド対ポルトガルの試合が終わるまで。確か、あれはPK戦で終わったから、延々と待たされた。

ついでにサッカーワールドカップだが、時差なしに見られるので、私もちょろちょろ見ている。先日のドイツ対イタリア戦もストラビンスキー・オーディトリアムのロビーでライブではなくサッカーの試合を放送しているモニターの前がすごい人だかり。ショーを見るよりこっちの方が気になるのだろうか。しかし、アーティストもそうだ。フランス対ブラジル戦の時は楽屋のテレビの前にブラジル人アーティストが釘付けになっていた。

スイスはフランス、イタリア、ドイツに囲まれ、ポルトガル人も多いので順々決勝戦から大盛り上がり。

でも、日本よりは勝つことにみんな慣れているから、フランスがスペインに勝った時も前回の日本の渋谷交差点や六本木交差点のような騒ぎではなかった。日本は本当に優勝慣れしていないから、盛り上がりはスゴイし予選で負けても、「お疲れさま!よくやった!」というところが微笑ましい。モントリューで日本人のお客さんにインタビューしろ、というプロデューサーからの要望もあるのだが、どの日本人っぽいアジア人も韓国人!!!彼らは韓国がもっと決勝に近づくと思って、それなりにチケットを取っていたのだろうか。

あ、そう。マッシブ・アタックのインタビューの時もサッカーの試合が終わらないので、取材をキャンセルしたなぁ。みんな〜、仕事しに来たの〜?

Saturday, July 01, 2006

アーメットへのオマージュ (モントリュー、スイス)

ジャズフェスは3つの会場でメインのコンサートが行われるのだが、他のフェスと違って、街全体が会場にもなっている。お金を払って観るコンサート以外にアーティストが行うワークショップ(去年はデビッド・サンボーンのサックス・ワークショップを体験したが、楽しいトークショーというカンジだった)無料のオープンエアーコンサート(ジャンルは様々)週末にはジャズミュージシャンを乗せた電車が山の方に向かったり、サンバやブルーズ音楽のボートが湖を回ったり。もちろん、バーやクラブでも有名/無名のミュージシャンやDJのライブが楽しめる。

一番小さな会場はカジノ・バリエール。ここではジャズライブが多く行われる。それからオールスタンディングのクラブ形式のマイルズ・デービス・ホール。そして一番大きなストラビンスキー・オーディトリアム。ホールとオーディトリアムはあまり見栄えのしないコンベンションセンターのようなビルの中にあり、カジノはそこから1ー2キロ離れたところにあるので、あっちもこっちもコンサートを、と思ってもかなり移動が大変だ。

しかし、100組以上のライブが行われる16日間。チョイスをするのも大変だ。もう2度と観られないかもしれないオーネット・コールマンのライブに行くか、長年観たかったヴァン・モリソンのライブに行くか。はたまた注目の新人、アダム・グリーンを覗いてみるか。(私はカジノでプレーしているヴァンにしてしまった。)このようにジャンルも豊富だ。ジャズ、ソウル、R&B、ブルース、ロック、ハードロック。ヘビーメタル、ヒップホップ、レゲエ、ブラジル、アフリカ、エレクトロニック、トランス、アンビエント・・・なんでもあるなのだ。

初日はアトランティック・レコードの創設者、アーメット・アーティガンへのトリビュートということでレス・マッキャンとソウル・サバイバーズ、ジョージ・デューク、ベンEキング、ソロマン・バークなどの50年代、60年代大活躍したアーティストたちの前半。ロバート・プラント、スティーブ・ウィンウッド、スティービー・ニックス、チャカ・カーン、ナイルズ・ロジャーズやキッド・ロックで構成される後半のショーが行われた。

アトランティックはソウルミュージック・レーベルとしてトップだっただけあって、前半は感動ものだった。特にソロモン・バークの声に圧巻!体も巨大だけど、声もハートも同じくらい大きな男だ。ベンEキングはもう高いノートは歌えないが、ソロモンは今も絶好調だ。だが、ほとんど歩けない彼はステージに上がる時も強烈に美しい娘たちに車いすを押されて出てくる。客には見えないように黒いカーテンの後ろで動いてくるのだが、もう少し演出を変えてもいいのでは、と思ってしまった。ソロモンはステージ上では王座のような椅子に座って歌うのだが、その椅子にキャスターをつければいいのにね。

後半はナイル・ロジャースがプロデュースしているので、ちょっと音は暑苦しくなってしまうのだが、スティーブ・ウィンウッドが歌う「ジョージア・オン・マイ・マインド」「キャント・ファインド・マイ・ウェイ・ホーム」には感動。当初はジミー・ペイジも現れるはずだったので、ロバート・プラントと一緒にゼップもやるのでは、と思っていた観客だが、ペイジは急きょ手術のためキャンセル。そしてプラントはゼップではなくハニードリッパーズ(わ〜、懐かしい!)のプラントに徹底した。チャカ・カーンも自分のではなく、アレサ・フランクリンの名曲を歌い、トリビュートコンサートっぽい選曲だったが、一番の驚きはキッド・ロック。

ステージに上がった時は観客もシ〜ンとしていて、どうなるのだろうと思ったが、最初のバラードで歌唱力をアピール、そして、スクラッチも単なるスクラッチではなく派手なパフォーマンスになり、さらにドラムやギターの腕前を見せつけ、彼のパートが終わるころにはおじいさん、おばあさんも大拍手だった。

最後はシックのセットで、ナイルやボーカルのシルバーに誘導され、観客は立ち上がり踊り始めたのだが、スイス人ってあまりリズム感がないのね。

その後が私には不思議だった。というか、最初から超アットホームなショーなのだが、最後に参加アーティストが勢ぞろいして「ウィー・アー・ファミリー」から始まり、アーメットが書いた歌を歌ったり、ラップしたり・・・で、それが延々と続くのだ。とてもルースでダラダラと。なんだか、本当にどこかの家族のイベントに迷いこんでしまったかのようだった。

その頃、ビッグドッグは楽屋で遊んで・・・ではなく、アーティストの楽屋顔を撮影していた。アトランティックの新人、パオロ・ヌティーニと話すキッド・ロック、写真撮影を全て拒否するロバート・プラント、ワイワイガヤガヤ同窓会ノリの楽屋風景。私はどうも楽屋が苦手だ。いや、意味があっているのはいいのだが、そうでないとストーカーのような気分になってしまう。でも、ライブ終了後、私も楽屋に連れられ、レス・マッキャンらのコメントを頂き、彼からチョコレートまで貰ってしまった。(チョコはスポンサーからアーティストへのプレゼントだったが体型を気にするミュージシャンはみんな他の人にあげていた。)

アパートに(チョコレートを持って!)帰った時はもう午前3時ころだった。

ジム・モリソンを探して (ペール・ラシェーズ墓地、パリ)

前回パリを訪れたのは1977年。ほとんどの時間を美術館で過ごした私だったが、ノートルダムの近くにあるサント・シャペルには行かなかったようだ。というか、行った記憶はない。ベルナールが進めるので、モントリューに渡る前の日、覗いてみることに。

ステンドグラスではパリの外にあるシャルトル寺院が一番有名だが、サント・シャペルも小さいながら大迫力の万華鏡だ。色とりどりのライトショー。ここでレイヴをやったらすごいだろうな。

そんなことを考えながら、私たちはバスティーユまで歩き、運河のハウスボートを物色し、ロケット通りを闊歩してパリで一番有名な墓地、ペール・ラシェーズへ到着。ここにはオスカー・ワイルドやモリエールなどなど、有名人の墓がたくさんあるが、観光客が必ず探すのはジム・モリソンの墓だ。

パリに来てからあちこちで見かけている。サクレクールのそばにあった電気ボックス、セーヌ川の脇の壁・・・

運良く、墓地が閉まる15分くらい前に到着し、あわてて入り口にある地図でモリソンの墓を見つけ、一直線に第五区まで行くと、あとは人だかりを見つけるだけでいい。いつも観光客がたかったいるのはジェームス・ダグラス・モリソンの墓だけなのだ。

今日も中年のオジサンやオバサン、髪を紫に染めた若いアメリカ人など、そしてガードマンが墓のまわりにいた。昔は銅像もあったそうだが、盗まれ、今は簡単な墓石だけだが、その上はロウソクや花のおそないが。

「あと2分で閉まります!」セキュリティは我々を急かすので慌てて写真を撮ったが、2分もたたないうちに「はい、もうおしまい。出て!出て!」とガードマンは観光客を追い出す。

「え?2分はどうしたの?まだ1分しかたっていないよ!」ビッグドッグは不満だった。

でも、ガードマンはがんとして、我々を追い出す気だ。観光客もしぶしぶとモリソンの墓を離れて行く。

「君たちはどうしてここにいるんだよ?ドアーズが活躍していた頃、まだ生まれてもいなかったじゃないか」ビッグドッグは紫頭のアメリカ人にいう。ちょっと攻撃的に。彼にとって、ジム無しの最近の再結成ドアーズはドアーズではない。「オレは彼らがロスでプレイしていたころいたよ。ロクシーでいつも見ていた。でも、君たちには関係ないんじゃないか?」
「昔の音楽が好きなんだ」若者たちは攻撃的なオヤジに素直に答える。
「ふん。あれが本当の音楽ってやつだ。かわいそうにな。君たちの世代のは音楽じゃない。ヒップホップやラップだらけで。あれは音楽じゃないぜ。オレたちの世代こそが最高の音楽を持っていたんだ」
どんどんオヤジ炸裂。ちょっと恐い。私は少し前を歩くことに。

でも、そのうちセキュリティがどんどん現れ、スクーターで墓地の路地をびゅんびゅん、最後の訪問客を羊のように集め、出口へ誘導してきた。その中の一人がジム・モリソンに似ていた。彼だったら、どうしよう。