Wednesday, February 29, 2012

水彩













Wednesday, February 22, 2012

ウェルカム・トゥ・サパティスタ・カントリー

「サパティスタ支配地域」という看板が路上にあった。宣言なのか警告なのか。NAFTAは貧しい農民にとって死刑宣告だ、と反対し、先住民の生活向上や民主化を要求するサパティスタ民族解放軍はチアパスのジャングル地帯、ラカンドンを中心にたった数年前までチアパス全域でゲリラ戦を続けていた。しかし、今、チアパスを旅していると最近まで抗争が続いていたとは思えない。今でも頻繁に軍のトラックを見かけるし、地域中、軍の基地が点々とするが、現在は比較的穏やかで「戦争の跡」はお土産屋に並ぶマルコス副司令官のぬいぐるみや彼のマスクで覆った顔が印刷されたTシャツなどだ。革命もただのマーチャンダイジングになってしまった。何とも21世紀的!(ここでも資本主義の勝ちってこと?やだなぁ。)

「あのケバケバスカートの人たちはこの村の人たちだったのね。」
サン・クリストーバル・デ・ラス・カサスから数キロ離れたところの村、チャムラに入るとすぐにわかる。

サン・クリストーバルの教会の前や広場で毎日、チャムラの女性と子供たちが手芸品や民芸品を売りに来ている。ショールやマクラメベルト、ブレスレット、木の実のネックレスや刺繍が鮮やかなブラウスなど。三つ編みヘア、サテン生地のパフスリーブのブラウスに昔はヤギの毛皮を使っていたのだろうが、今はケバケバした着ぐるみに使いそうな黒い布のスカートが女性の衣装。お年寄りも幼い娘も皆この衣装だ。

「男性はケバケバベスト!」
彼らのは白っぽいケバケバだ。

その日はマルディグラ。一週間のお祭りのクライマックスの日だった。近くの村からも大勢集まり、チャムラは人、人、人の大混雑。村ごとなのか部族ごとなのか、それぞれ異なる衣装を着ているのでなんともカラフル!

しかし、日本の祭りと違って、とても閉鎖的だった。外人、よそ者はあまり歓迎されない。単に無視されるか我慢されている感じだった。ルールを守らないと大変なことになりえる。写真撮影とかね。ガイドブックには「この地域の原住民たちは写真を嫌うので撮影しないように」と注意が書かれている。「写真に魂が吸い取られるのを恐れている」という理由らしいが、カラフルな衣装の人々が携帯電話のカメラでお互い嬉しそうに撮影しているのを見ると、魂を吸い取ることができるのは外人だけなのだろうか?それとも、もう既に吸い取られてしまい、恐いものなしなのだろうか?と思ってしまう。

「何が始まろうとしているの?」旅中は訳の分からないことだらけ。
ケバケバベストの男たちの群衆が街角に現れ、最初は綱引き?と思いきや、よく見ると綱の間に牛が縛られていた。恐怖でいっぱいの牛は目を白黒させておびえている。かわいそうで、その後、どうなるのか見ていられない気分だった。

すると、ざわめきがして、怒鳴り声と共に棒をふる男たちが寄ってくる。これから牛を町に逃がすのかと思い、素早くビルの影に隠れたが、棒をふる男たちは西洋人カップルを追っていた。
「何もしていないよ!」西洋人の男は英語で怒鳴る。
「ファック・ユー!」どこで覚えたのか、先頭の男は英語でののしり返す。
「何?お前こそファック・オッフ!」西洋人も負けていないが、群衆はどんどんふくらみ、どんどん過激になっていくのがわかる。何が起こるかわからない。いや、想像できちゃうので恐い。西洋人の女性は「もう、いいからさ」と男をなだめ、群衆から彼をひっぱりながら遠ざかる。

「彼、本当に何もしていなかったんだよ。隣の観光客グループが写真を取っていたんだ」と教えてくれるビッグドッグ。
「みんなどんどん酔っぱらっているから気が立っているんだね。ちょっとヤバいカンジ。」
「帰ろうか?」
「ヘンな事件に巻き込まれる前にね。」

何事もなく無事にサン・クリストーバルに戻ったが、なんだか悲しく、寂しかった。日本だって同じくらいカラフルでエキゾチックで素晴らしい祭りがある。いっぱいある。日本人だって祭りとなればはちゃめちゃになり、みんなベロベロに酔っぱらう。だけど、チャムラの人のように外ものに対してアグレッシブにならないぞ。それどころか、外人は大歓迎だ。自分たちの文化の素晴らしさを世界とシェアしたい、というのが日本人。一緒に神酒を飲み、一緒にクレイジーになって欲しいのだ。(どんなに悪ふざけしても寛大である日本人。今まではメキシコ人と共通していると思っていたが、地域によって違うのね。)

チャムラの人々は自分の文化に自信がないのだろうか?それとも何百年も抑圧され、差別され続けているとこうなってしまうのだろうか?ビッグドッグの説は「コントロール」だ。

「世の中のほとんどが自分のコントロール外だと、微々たる部分でもコントロールしたがるんだよ」と推測する。写真を撮られることや教会に足を踏み入れること。楽しむこと。どうなのだろうか。もし、そうだとしたら、なんだかケチ臭い。精神的な貧しさを感じてしまう。

それに、抑圧とか差別はメキシコ中の先住民が体験してきたことだが、他ではこのような妙な空気はなかった。でも、今まで訪れたメキシコはユカタンやチアパスより来客が遥かに少ないので、外人の数に圧倒された結果なのかもしれない。

いや、そんなものじゃないかも。ケバケバ衣装がチクチクして苛立っているだけなのかも。

Friday, February 17, 2012

マヤ遺跡と教訓

今日訪れたパレンケは今回の旅の5つ目の遺跡だ。ユカタン半島ではなく、チアパスのジャングルの中にあり、緑茂る背景の中の遺跡は神秘的。そして、全体のエリアは巨大だ。栄えていた時はどのような都市だったのだろう?想像もできないが、博物館の展示物からすると相当なる都市だったのだろう。


数千年に渡るマヤ文明なので遺跡がそれぞれ時代によって異なるのは当然だ。最初に訪れたエク・バラムは小さなサイトだがちょっぴりジャングルぽいところで、メインのピラミッドにある見事に保存されている彫り物は他では見られない内容だ。

一番知られているマヤ遺跡はチチェン・イッツァ。あまりにも有名なので「いかないと」と思いがちだが、無理していく必要はあるのだろうか?(と思ってしまった私だ。)建築の技術はウシュマルほどじゃないし、何と言っても巨大観光バスからぞろぞろ出てくる老若男女。観光客でゴッタ返しているサイトは神秘も何もない。また、カンクンからのバスツアー客の中には何故ここにいるのかわからないような人が多い。せっかくの「音響が素晴らしい」と言われているボールコートもつまらない世間話でうるさい。「そいでもって~、彼女ったらさ~」「うっそ~、そんこと言ったの~」というような会話を延々と続ける若いアメリカ人女性たちの気が知れない。他の国の人たちも世界遺跡という場所でこのような会話をしているのだろうか?幸い、彼らの会話の内容はわからないが、日本からのお年寄り団体の一人と土産売りの不思議な会話は:「コネモチ!コネモチ!」「そうだよ、オレは金持ちだよ」「ニンジン!」「おお、人間だよ」、、、シュールすぎてなんとも言えなかった。

チチェン・イッツァを訪れると、今度はイサマルという町の中にあるピラミッド、キニチ・カクモだ。ピラミッドのハシゴというのもなかなか良いではないか。ピラミッドそのものは普通なのだが、街角から巨大なステップをよいしょよいしょ上ると、、、広場に出て、先にはまたまた上らないといけないステップが。うんしょ、うんしょ上る観光客が真ん中の広場に到着した時のウンザリした表情を見るのが楽しい私は相当な意地悪なんだね。それにしても、古代マヤ人は今のマヤ人より大柄だったのだろうか?どの遺跡のステップもバカ高い。


ユカタン州の南にあるウシュマルはマヤ文明の頂点の都市だったようだ。訪れた遺跡の中では一番のクォリティ。石はどれも正確にカットされているので、他の遺跡のようなモルタルは使われていない。我々が訪れた時はほんの一握りの客しかいなかったので、神秘ムード抜群だった。特に南の隅にある「ウシュマルの小人の母の家」あたりは手前に男根像のエリアがあり、魔術の空気が今でも漂っている。

それぞれの時代の遺跡を廻っているうちになんとなくマヤ文明の興亡を肌で感じることができる。

紀元前から始まった文明、巨大な都市を誇る文明だったが、数百年のうちに滅びてしまった。原因はひとつではなく、いくつもの要素の重なり合いだったようだ。戦争、ミルパ(焼畑)農法、森林伐採。そして、これらが生む気候変動、食料不足や疫病。スペインによる侵略がトドメを指したようだが、既にその頃はもうマヤ文明も衰退していたという。現在の世の中と共通する部分が多すぎる。マヤの歴史には貴重なレッスンが存在すると思う。

もっともっと歴史は勉強しないといけないが、遺跡だけを見ても、どんどん技術が向上し、またその技術や知識を失って行く様子が分かる。人間の社会は絶えず進歩しているのではない。発展したり、衰えたりするものなのだなぁ。

我々の社会も100年前より現在の方が良いというのが一般的な考えで、この先100年したら今より更に良くなっているはずだ、と思う者が多いだろうが、そうとは限らない。未来は必ずしも明るくはないのだ。

マヤ人の中にも「地球干ばつ化」について警告した賢人たちがいたのだろうか?いたとしたら、同時に「そんなバカな」と無視する権力者もいたのだろう。

「地球をもっと大切にしないと人類は滅びる」というマヤの教訓に耳を傾けないと。手遅れになる前に。
日本の浮世絵の人物に似ていない?

パレンケの「クイーンズ・バス」 私もこんな「お風呂」が欲しい!

Tuesday, February 14, 2012

メキシコはゾウさん

この一週間、猛スピードでユカタン半島を廻っているのだが、メキシコってあの寓話のゾウさんのような国だな、と改めて感心させられている。

ほら、あの盲人たちと象の話よ。全体が見えない彼らは自分が触れた部分で全体を想像している。象の鼻を触った者は「象って蛇のような動物だ」と断言し、足の部分に触れた者は「いや、違う。象は大木のような動物だ」という。

メキシコもどの場所を体験したかによってかなり印象が異なると思う。

今まで、私は太平洋側(しかも、バハ半島以外はナヤリト州より南)と中央しか訪れていなかった。なのに、偉そうにメキシコのことを語ってきた。もう、そんな安易なことはしない。だって、ユカタン半島はまったく違う空気が漂う場所だから。

ここは長い間、多くの観光客を迎えている地域で、観光化もかなり進んでいる。しかも、外人が多く訪れると地元の人間も変わらざるを得ない。今までが信じられないほど歓迎的だったからか、なんだかあまり歓迎されていない雰囲気だし、何もかも高い。時には「外人はいくら、メキシコ人はいくら」という後進国にありがちな二層価格もある。

風景も単調だ。他と異なり、ユカタン半島、特に北部は真っ平ら。ハイウェイを走っている時は厚い緑の壁に囲まれて先が見えない。

長年、ユカタン半島で暮らしていた友人や最近、こっちに来ていた友人などから薦められたメリダに期待していたが、どうしてもサン・ミゲール・デ・アジェンデと比べてしまうと劣る。コロニアル建築はキレイだが、メリダのはあまり修復されていないのもあり、間には世にも醜い最近の建築がごちゃごちゃ混ざっている。そして、私にとって許しがたいのが、、、日曜日の夕方から夜にかけてアルコール類の販売が禁止されているのだ!

「でも、わかるわ。何故、みんなここに集まるか。アートも音楽もいろんな文化的なイベントも豊富だからよ。メキシコにはもっとステキな町はあちこちあるけど、この時期、寒いところが多いから暖かさを求めてきている人たちにはメリダがいいのよ」と言うと、ビッグドッグは、
「まだメリダをかばっているな。10点満点ならここは5だよ」と返す。

今日到着したカンペチェの方がビッグドッグはお気に入りのようだ。コロニアル建築はメリダよりよく修復されている。特にセンターの壁に囲まれた部分は。だが、メリダの賑やかさがない静かな町だ。そして、相変わらずビールを売っている店を探すのが大変なのだ!


ギラギラ、ギトギトのカンクンだけど、ちょっと離れるとこんなにメキシカンなシーンも。


イサマールは静かな町。


メリダの可愛いダンサーたち。


カンペチェのパステルカラーのコロニアル建築はビューティフル!

Monday, February 06, 2012

渡り鳥

冬の牧場もいいところだ。空気はキリッと爽やかだし、雨が降ればキノコ狩りもできる。ラッパズイセンも咲き始め、これからが本格的な季節だ。

だが、落ち着きがない我々はまたまた旅立つ。今回はメキシコのユカタン半島方面へ。

すべてが観光地化されているのだろうか?春休みの学生でごった返しているのだろうか?
それともメローで楽しい地域なのだろうか?
地元の住民はどんな感じなのだろうか?
初体験はウキウキさせられる。

しかも、今年はマヤ歴で重要な年らしい。特に2月はなんだか意味深な日付が多い。マヤ文明の中心地にいけば、彼らの謎が解けるのだろうか?

Stay tuned!