Tuesday, May 28, 2013

36年後のヴェネチア

 最後に訪れたのが36年前。その時は北米やヨーロッパの観光客ばかりだった。どのレストランも私には高価すぎた。 今はなんとなくラズべガス化している。クルーズ船のせいだろうか。なんだかヴェネチア全域がテーマパークのショッピングセンターになってしまったみたいだ。
カサノバが見たらぎょっとなる「ため息の橋」
リアルト橋もお土産屋街道
運河はゴンドラで渋滞!

問題のクルーズ船
でも、静かな運河のシーンも、、、
早朝はベネチアを独り占めにできる

イタリア式ダイエット法

「みんな食べて食べて食べまくっているのにアメリカのように病的に肥満な人って見かけないよ。」私はこのイタリアでの不思議な現象をビッグドッグにメールで報告。 

ま、考えてみれば、アメリカにあれだけ病的に肥満な人がいるということの方が不思議なのかもしれないが。 

どこをみても何か食べている人がいる。イタリア人は本当によく食べる国民だ。まず、朝食。これは比較的軽いのが多い。ちょっぴり甘いカプチーノに何かしらのパン。昼前のおやつもある。コーヒーと菓子パンとか。その後でしっかりと昼食を。お昼のワインは当たり前。デザートも。それから午後のおやつ。ジェラートはいつでも食べられる。夕食は比較的遅いので、その前にお酒とおつまみを。で、豪華なディナー。もっとワインを飲む。もっとデザートを食べる。食後酒もあるのだ。 

アメリカ(というか、これはカリフォルニア?)のようにカーブフリー(炭水化物フリー)とかファットフリー(無脂肪)とかグルテンフリーなんて気にしている人、誰もいない。パスタもチーズもバターもオリーブオイルも皆ばくばく食べる。 

勿論、太っている人はいる。でも、アメリカで見かけるような巨大な体系のデブはいない。そこで考えた。何が違うのだろう?

*薫製や乾燥肉は頻繁に食べるがアメリカの加工肉のように塩分が多くない。しかも、伝統的な製造法を守っているので工場で大量生産される加工肉のような添加物はない。アメリカで食べるバローニーソーセージはボローニャのソーセージと比べ物にならない。

*ファーストフードはほとんど食べない。マックなどのお馴染みバーガーチェーン店は存在するが、あまり客は入っていない。(でも、客はいる。それが、また私には不思議だった。どうして、こんなに美味しいものが多いところでマックを食べるのだろう?)

*炭酸飲料を飲む人はほとんど見かけない。見かけても飲んでいるのは観光客。そしてコーラ類はアメリカと違ってコーンシロップは原料の一つではない。

*料理する時もあまり加工品は使っていないようだ。レストランの食事は全てお店で最初から最後まで作っているところが多い。

*食事は肉、魚介類、炭水化物、野菜や果物とバランスが取れた多彩な内容だ。

*GMO(遺伝子組み換え)食品はない。

*家畜用成長ホルモンもない。

*食べる時はゆっくり、一口一口味わいながら食べる。

*ワイワイ会話しながら食べる。(これも食べるペースをスローダウンさせる要因だが、たぶんおしゃべりは消化にもいいと私は思う。)

*車だけの生活ではない。お年寄りもちゃんと歩いたり、階段を登っている。 

基本的には食産業も食文化も違うってことだが、肥満問題を解決したければアメリカ人はイタリアに目を向けるといいのかも。



ミケランジェロの亡霊

前回、ローマとフィレンツエを訪れたのは90年代初期。ミッレ・ミリアというクラシックレーシングカーのラリーを取材しにきた時だ。レーサーを追うだけで街なんてほとんど見なかった。ちゃんと見たのは70年代後半、貧乏バックパッカーだった時。当時は「1日20ドルでヨーロッパを」というのがバックパッカーのモットーだったが、私はもっと貧乏で1日20ドルなんてなかった。

「人間は変わったけど、ローマはどの時代もローマだよ」というセルジオ。彼はローマの中心、ラゴ・アルジェンティーナにある小さな宿のオーナーだ。 

人間はかなり変わった。77年の時も観光客でいっぱい、というイメージだったが今はごった返している。あの頃、旅行なんてしなかった(できなかった?)人々で満員だ。旧ソ連支配下の国民、中国人、韓国人、東南アジア諸国の人々、インド系、中東系、中南米の人々、、、 
どこも観光客だらけのローマ
しかし、人間が変われば街も変わってしまう。どこも入場料を取るようになってしまった。学生割引はあるが、70年代のように無料ではない。人気スポットはどこも長蛇の列。トレビの泉やスペイン広場などは人だらけ。

一番のショックはバチカンで待っていた。しかもショックは人ごみではなかった。 

最後にシスティナ礼拝堂を見たのは修復前。ミケランジェロのフレスコを修復するプロジェクトは80年代、ニッポン放送のサポートで行われた。何世紀もの汚れを落とし、ビビッドな配色が戻ったとの噂だったが、、、 

人間の河に流されながら母と私はバチカン博物館の最後の部屋を通り抜け、“新しい”システィナ礼拝堂へ流され込んだ。ガードマンたちの「静かに!」の大声と何百という観光客のささやきが混ざる中、皆、天井を見ている。

 信じられない。ミケランジェロの有名なフレスコの色が、、、違う。ビビッドすぎる。カラフルすぎる。でも、一番ショッキングだったのは汚れと一緒にチャコールでシェーディングした部分も落とされてしまったこと。なんだか平面的になってしまった。顔のディテールのない人物も。目のない顔は恐い。 

ミケランジェロのフレスコはこんなはずじゃなかったぞ。というのが私の無教養な意見だ。 

修復を手掛けた専門家たちによるとミケランジェロはブオンフレスコという方式、要するに乾かない前の石工の上に色を塗り、乾いた段階では何も加えていないそうだが、これは間違いではないかと私は思う。だって、修復前のフレスコの方が優れていたんだもん。 

ミケランジェロの亡霊は暴れているのを想像した。しかし、作業中にもさんざんもめた作品だ。ヌードが卑猥すぎるという意見の聖職者たちと戦い、しまいには(死後)他の画家に衣類を塗り足されてしまう。亡霊が暴れているとしたら何世紀も暴れていただろう。いや、ミケランジェロの亡霊はとっくのとうにバチカンを離れている。宗教臭いところにいる訳がない。きっとウェストハリウッドのどこかで騒いでいるに違いない。

アルマーニランド

ローマ、、、またはミラノに数日いるだけで、イタリアが何故メンズファッションのリーダーかがよく分かる。もちろんフランスにも、イギリス、日本、アメリカなどにも優秀なデザイナーはいる。でも、消費者でいうと断然イタリアがトップだと思う。 

多くの国では男性が身だしなみにこだわることに対して少々偏見がある。

ドッグファーザーがビッグドッグが爪の手入れをしている時のリアクションを思い出してしまう。ビッグドッグは(比較的最近)爪を噛むクセを克服したのだが、そのためにはいつも爪をちゃんと切り、気になってしまうギザギザが残らないよう丁寧にファイリングしている。

ドッグファーザーは見ながら「なんだか、すごく時間をかけて爪の手入れをしているね」とコメントした。たったの一言だが、その言葉の中には皮肉と恥ずかしさとちょっぴり軽蔑もチラついていた。 

まともな男は身だしなみにあまり時間をかけてはいけないようだ。そりゃ、靴をちゃんと磨くのも、髪の毛を整えるのも、デオドラントを使うのも、口臭を防止するのも当たり前だが、それ以上となると、、、ちょいとナルちゃん?女性的?とにかく男っぽくない。そう思う社会が多い。長年のクセを克服できて偉いね、とは思ってくれない。 

このような偏見はイタリア男性社会には浸透していないようだ。どんなにめかし込んでも、どんなに念入りに身だしなみを整えても全くオーケー。価値観の違いだろう。 

年老いてスーツがダボダボな男だけど、申し分のないようないい靴を履いている。アルマーニをモデルのように着こなしている若者は気どって歩いている。 

他の国のデザイナーは素晴らしいメンズウェアを作り発表するが、彼らのファッションをちゃんと着こなす同国の男性は少ない。いや、デザイナーの名前すらわからない男がほとんどだと思う。日本人で山本洋司を知っている男性は何割だろう?ミハラのようなニューフェースのデザイナーとなるともっと少なくなる。メンズのトップデザイナーが沢山いるイギリスでもそうなのだろうか?アメリカのデザイナーたちはドルチェとガッバーナを羨ましく思っているのだろうか? 

女性の立場は様々かもしれない。汗だくの男が好みの女性もいるだろう。ラッパー系のファッションがかっこいいと思う人もいるだろう。汚いジーンズから覗くお尻の割れ目がたまらない、という女性だっているはずだ。(いない?) 

ファッションの奴隷になることはないが、爪をちゃんと手入れするのはいいことだと私は思う。そしてメンズウェアのデザイナーだったらイタリア人男性だけの世界で働きたい。
古代ローマの男性もオシャレ?
人魚スタイルのファッションもいいかも

イート!イート!イート!

今年は「年老いた親の夢を叶える」そんな年になりつつある。 

ドッグファーザーをワシントンDCへ連れていくと、今度は母の番だ。(私がバッドドッグなら彼女はビッグバッドママだ。She's a Bad Mama Jama... 懐かしい曲も頭の中をグルグル。) 

母は娘の私以上の変わり者。私もグループ行動が苦手だが、母はもっと苦手なのでツアー旅行なんてもってのほか。だが、一人旅も海外となると躊躇してしまう。だから長年、イタリア旅行は夢のまま。 

「ん、もう、いつまで待ってるのよ!今年こそ行こうよ!」
 私と母、二人だけで5月半ば、行くことになった。

しかし、そのためにまず日本まで行って、母をひろって、それからローマで、、、とあまり効率のよくないスケジュールだった。 

グッドウィルというチャリティ団体のセカンドハンドショップで古着のブレザーを買ったついでに本も何冊か購入。長旅に読書は最高だ。(で、アナログ人間はタブレットで本なんか読みたくない。重くても紙に限る。)1冊は"Eat, Pray, Love"。ジュリア・ロバーツ主演の映画にもなったが私は本も映画も避けていた。

 「どうせ下らない小説でしょ?」 

でも、今回は最初の章、Eatの部分がイタリアで食の快楽について書いたという序説にひかれ「インスピレーションになるかも、、、」と買ってしまった。 

下らない小説ではなかった。ならまだマシ。もっと酷い、独り言を延々と語るエッセーだった。読んでも読んでも「イタメシの快楽」の話題なんて登場しない。自分の人生のむなしさと恋の失敗についてぐたぐたと書いてあるだけだ。もう、やめてくれ。そんなこと他人に延々と語るなよ。自分一人で悩め!ムカついた。食欲をそそるどころか頭が痛くなり、だんだんと胃も痛くなる。 

本を捨て、母と2週間、食べまくった。ローマで食べまくり、フィレンツエで食べまくり、ボローニャでも食べまくった。(ベネチアではあまり食べなかったが、その話は後ほど。)Eat, Pray, Loveの女は数ヶ月イタリアに滞在していたらしいが、ここで美味しいものを食べ続けてもああも自己憐憫に浸れる女も凄いな、と思ってしまう。よくそんな暇があったな、と感心。 

私は食べるのに忙しすぎた。写真を撮る余裕もないくらい。ピザやパスタ、アーティチョークに生のポルチーニ、パルマハム、サラミ、可愛いボンゴレに優美な手長エビ、香ばしいアスパラガス、濃厚なトマト、リッチなチーズ、クリーミーなジェラートなどなど。そしてワインもがぶがぶ。食べて食べて飲んで食べた。そして、こんなに美味しい料理が存在することに手を合わせた。心は海の幸、山の幸に対する愛で溢れていた。これこそがEat, Pray, Loveじゃない?









Wednesday, May 01, 2013

D.C. クール

私にとってワシントンDCは2度目、30数年ぶりだった。記念碑、記念館、霊園などを訪れているうちにわかってきた。ここはアメリカの聖なる場だということが。これら建物こそ合衆国の寺院だ。ローマやギリシャ時代の寺院、ヨーロッパの大聖堂などの様式を借りているのも単なる美意識からではない。 

アメリカという国はユートピアの理想から生まれた。この国の偉大さ、そして国のエッセンスは高尚なる賢人たちが考えた理想に基づいている。どの理想もノーブルでピュアだ。マーティン・ルーサー・キング牧師の“夢”、フランクリン・ルーズベルト大統領の“同情”、トーマス・ジェファーソンの“自由”、ジョージ・ワシントンの“独立”、エーブラハム・リンカーンの“平等”、、、この国の「心」は心ではなく、頭にあるのだ。それが理想と現実のギャップを生んでいるのかもしれない。労働者に深い同情を持っていたルーズベルトは第二次世界大戦中、何千もの日系アメリカ人を収容所に強制送還した。キング牧師は演説中暗殺され、人種間の闘争も同じ時代に爆発した。貧しい民はいつも社会の奴隷だ。 

日本のアイデンティティは何千年の間、徐々に築かれた。人間が築いたアイデンティティではなく、日本という郷土と共に、自然と共に育ったアイデンティティだ。原始の時代から変化し、シフトし、どんどんと変わりながら、今も変わりながら存在するアイデンティティとアメリカのとはまったく異なる。だから言葉にはできない「何か」なのだろう。何度もよそ者に征服され変わる国もある。彼らのアイデンティティもアメリカのとは違う。 

そんなことを考えながら、大勢の「お宮参り」をするアメリカ人観光客を眺めていた。 

しかし、DCは単なる聖なるスポットではない。ダイナミックで活気のあるアメリカの主都だ。プロフェッショナルだけどフレンドリーな街だ。そしてクールな要素が沢山ある。 

DCクール、その1:みんな政治に強い。さすが主都。タクシーの運転手もコンビニのレジ係も、どんな職業の人でも政治の話題には強い。我々の運転手もそうだ。私より遥かに政治や経済のことを知っていた。
ホワイトハウスの前で何十年も抗議している反核アクティビスト
DCクール、その2:ペディキャブ!人力車は発展途上国のみのモノではないのだ。超エコでしょ。自転車タクシーは最高。東京にも出現させて欲しい。

DCクール、その3:キツネ!信じられない。朝鮮戦争記念碑の裏っかわの林の中でお母さんキツネが3匹の子ギツネを育てている。いや~ん、超かわいい。そして群がる観光客なんて気にせず、こんなアーバンな公園の中で暮らしている。Coooool!

DCクール、その4:かっこいい黒人たち。こんなにかっこいい黒人たちがこんなに多い都市、初めて。映画の街、ハリウッドはビューティフルピープルのゾーンだと信じている人も多いかもしれないが、そんなのウソ。DCこそビューティフルブラックピープルのゾーンだ。どの人も、どの人もデンゼル・ワシントンやアンジェラ・バセット並み。スタイルもいいし、センスもいいし、身のこなし方もかっこいい。

DCクール、その5:植物園と温室。わお!わお!わお!美しい鉄細工の温室といい、その中の各セクションといい、無料レクチャーやワークショップといい、DCに住んでいたら入り浸っているだろう。もっと大きな植物園はあちこちあるか、こんなにチャーミングなのは他にはないのでは?

DCクール、その6:ダウンタウンのビル街の歩道の脇。木を囲む小さな芝生のコーナーにはなんとお母さんアヒルが卵を温めている。東京の有楽町の鴨のように、ビル街の中に巣を作ったアヒルだ。お母さんアヒルのために水とエサを置いているのはどこかのOLかサラリーマンなのだろうか?クール、そしてクレイジー!