Wednesday, September 29, 2010

縁の円が広がる

今年のいつ頃だったっけ。十代のころはまっていた本「Being of the Sun」の著者アリシア・ベイ=ローレルのホームページを見つけ、彼女のブログの「いつか日本語を学びたい」に挑発されメールを送ったのは。「70年代、ティーンエイジャーだったころあなたの著書に出会い、大きく刺激されました。東京というメガ都会の中で生活していたにも関わらず、『地球の上を生きる』と『ビーング・オブ・ザ・サン』はずっと私の心のガイドでした。あれからメディアで働くようになり、なんとなく”心のガイド”のことを忘れてしまっていたのですが、数年前、ドロップアウトし、放浪の旅に出て、今は中央カリフォルニア海岸近くの小さな牧場で暮らしています。まさに”地球の上を生きて”います!一周して原点に戻った感じですね。日本語が必要な時にはいつでも連絡してください。お手伝いします。」

ヘンなファンレター。ま、そういうのに慣れていないからね。だから、アリシアから返事が来たときはビックリ。そしてメールを交換するようになってから数々の偶然といより(だって、偶然って実は必然じゃないの?)縁が姿を見せてきた。でも彼女はちっとも驚かない。
「ソウルシスター同士だもん。」
偶然、、、いや、縁のひとつが今回の来日。同じ時期に彼女も日本に来ることになっていた。私はたった2週間の日本。(彼女は12月までいるけどね。)数日でも重なるなんてラッキー!さらには私が長年お世話になったプロデューサーMさんも知り合いということで一緒に彼女の家に行くことに。
Mさんも実は私にとって憧れの人。敏腕プロデューサーとして数多くの素晴らしいドキュメンタリーを手掛けていた/いるのだが、数年前、彼女も家族と都会を離れ、今は山の中で自給自足の生活を目指している。バリバリ第一線で働き、畑では自分たちのお米から野菜などを育て、地域活動にも熱心なMさん。私のような「なんちゃって農婦」とは大違いだ。
(ちなみにMさんたちが住む地域にはいろんなユニークなアーティストたちも住んでいる。自分で蚕から染めに使う青藍まで育て絹を織るカナダ人の織物名人や陶芸家たち、ミュージシャン、アーティストなどなど。)
縁の円は広がり続ける。アリシアと音楽でコラボレートしている女性アーティストは私が知っている沖縄在住の照明作家の知り合い。今後、多方面で手伝ってくれる東京在住の友人の知り合いはアリシアが日本に来るようになったきっかけの人。エトセテラ。

十代の時にアリシアの本と出会い、また原点に戻る私。英語で "come full circle" という表現があるが、人生と人間関係と精神世界の円(&縁)を感じる今日この頃だ。

Tuesday, September 21, 2010

マジカル・ミステリー・東京・ツアー

2ヶ月も日本語版をさぼっている間、網膜剥離になってしまったり(緊急手術で視覚を失わずにすみました)、乗馬を始めたり、アメフトの試合を見に行ったり、日本に行く準備をしたり、20時間くらい移動したり、スローライフがスピードアップし、現在、来日中。徐々に加速してよかった。でも東京の速度はその何倍も速い。

いつも限られた時間の来日。やりたいことが全部詰め込めない。なのに、今回はさらに欲張ってしまっているのでヘロヘロ状態。だけど久しぶりに会える同志、戦友たちからパワーを貰っている。

東京、そして日本全体に対して言えることかもしれないが、ここは「記憶」があまりない場所。過去はどうでもいい。神道には「中今」というコンセプトがあるのだが、まさに"Right Here, Right Now" 友人たちと何年ぶりかにあっても昔の話はほとんど出て来ない。(というか、そういう人を意識的に避けてしまっている私なのかもしれないが、、、)みんな「今」を生きていて、「今」を語る。東京の蒸し暑さ、人口密度、コンクリートとガラスの重さに少々やられている私だが、Right Here, Right Nowな連中といるのはとても心地いい。

街並も凄まじく変わるのだか、変わってしまうと昔、そこに何があったかも忘れてしまう。六本木ヒルズエリアはあの巨大ビルたちが建つ前は何があったっけ?誰も覚えていない。パリにいた時、感心したのはほとんどのビルがレトロフィットされていること。例えは階段の狭い吹き抜けに棺桶のように小さなエレベーターが設置されていたり。

東京も日本もコンピュータのメモリのようにどんどん書き換えられていく。消えていく「記憶」。いったいどこへ行ってしまうのだろう。