Friday, August 25, 2006

孤独

毎日、ほとんど誰とも触れ合いなく過ごしている私はもうすっかり農婦に。
でも、孤独って瞑想のようなもので、心の声に耳を傾けたい時には必要なのよね。東京には賑やかな社交ライフがあるけど、友達とわいわい楽しんでいると、時々、本当に聞かなければならない声が聞こえなくなってしまったり。

そして、沈黙の中には自然との対話があるのだ。
ニワトリと心が通うようになっているだけでなく、牧場のいろんな動物たちともコミュニケーションが取れるように。

ああ、今日も穏やかな美しい一日だ。空気はセージやラベンダーの香りいっぱいだ。極楽はやっぱり静かな方がいいのかも。

Friday, August 18, 2006

熊さん牧場

南部からロスへ戻り、5日後には中央カリフォルニアの牧場へ移動。

サンタバーバラの北にあるサンルイス・オビスポ郡、ロス・オソスにある牧場だ。ロス・オソスというのはザ・ベアーズという意味。開拓者たちがこの海岸地域に到着したころにはたくさんの熊がいたらしい。で、その熊を食べて冬を生き延びた、というのが伝説だが、熊たちは全部食われてしまったのか、今では町の端にある銅像しか残っていない。悲しい話だ。

だが、町から数キロ離れたこの牧場は静かな谷の中にあり、まるで別世界。私は地の果てに消えてしまったかのようだ。完全な無人地域ではないが、まわりの住民も広大な牧場に住んでいるので、あまり見かけない。そんな中、私の毎日は牧場仕事(肉体労働!)ばかりで、こうやってコンピュータの前にいられるというは罪悪感いっぱいの贅沢なのだ。

時間や社交生活、都会にあるようなエンタテインメントもない代わりに、ここには大自然がある。想像を絶する美味しさの桃やネクタリンを毎日腹一杯食べられ、セージの香りの美味しい空気を吸える。(朝はニワトリの卵を取りにニワトリ小屋に行くのだが、数日前に卵を産む唯一のニワトリが何らかの動物にやられてから卵は一つもない。)夕方になると16羽の野生の七面鳥が家の前のデッキで涼む。美味しいターキーディナーになるのはいつだろう?

数日前は屋根裏にいるネズミを退治に屋根に登ったら、なんとそこにいたのはネズミではなくコウモリだった!

完全にバック・トゥ・ネーチャーなこの生活は不思議と都会育ちの私に合うのだ。遠い先祖のDNAかしら?

Sunday, August 06, 2006

ハイウェイ61

と言えば、ボブ・ディランの有名なアルバム「ハイウェイ61リビジテッド」だが、実際にハイウェイ82をリーランドという町で交差している。(別に驚くことはないのだろうが、私がこういう場所に来ているということ自体、たまらなく嬉しく不思議なのだ。)

今は大きなトラックなどが走る近代的なハイウェイだが、Big Dogの親戚に案内され、リーランドにある「元の」ハイウェイに立つと、なんだが宗教的な体験をしているような感じだ。これが有名なブルース街道!ディランだって、何かを感じたからアルバム名に使ったのだ。私は日射病で倒れるまでここにいたい。町端に座り込んで、干涸びるまでこの空気を味わいたい。頭の中が真っ白になるまでデルタブルースを聴きたい!

だが、通りかかったアメ車から聞こえるのはヒップホップなのだ。

リーランドの町で見つけた壁画。さて、あなたは何人のブルーズマンを当てられるだろうか?

Saturday, August 05, 2006

もう一人のキング

ルイジアナからミシシッピー、そしてテネシーまで流れる道で、大昔はネイティブアメリカンの細道だったナチェス・トレイスは公園のようにキレイなハイウェイだ。何がいいというと看板など一切ないこと。ヘンなショッピングセンターもなければ、アミューズメントスポットもない。さすがに(バイブルベルトと呼ばれるだけあって)教会は多いが、その他はほとんど自然だけ。トゥペロ郊外からこのパークウェイに入り、開拓時代の面影を残すフレンチキャンプまで走り、そこから今度はミシシッピー川を目がけてハイウェイ82を西へ行くとだんだんと標高も下がり、巨大なミシシッピーデルタへ。

そう。ここがデルタブルース生まれの地だ。広大なコットン農場で働きながら、奴隷たちはブルースを歌っていた。仕事を探しに北上しながら、この音楽はデルタを脱出、シカゴブルーズに変わったり、何世代も後にブリティッシュブルーズになったり。世界へ広まっていくのだ。

ブルース好きな私には魔法の地だ。静かな4つ角を通ると「ここでロバート・ジョンソンは悪魔に魂を売ったのだろうか?」なんて想像したり。急いで通り抜けてしまうと、どの街もホコリっぽい寂れた街だが、ハイウェイから一歩入ると、どこもブルースの聖地なのだ!

Big Dogの親戚が住むインディアノラはなんとBBキングの故郷!ハイウェイ沿いにはそう記されている看板だけが唯一のヒントだが、一本なかの道に入るとBBが小銭稼ぎのためにギターを弾いていたという町角や青年の時に働いていたコットンジン(綿繰り工場)がある。(工場はもうないが、跡地をBBキングミュージアムにしようとしている。)一番の感動はBBが初めてプロとして演奏したというクラブ・エボニー。

インディアノラにはジュークジョイントというクラブが今も沢山残っている。(映画「カラーパープル」を見ている人はジュークジョイントがどんな雰囲気の場所かわかると思うが、昔は違法で運営されていた黒人向けの酒場だ。)クラブ・エボニーも極最近までは「飲む、うつ、買う」ヤバい場所だったが、大物ブルーズマンたちを迎えていることでは超有名。

年齢不詳のタフな黒人女性、メリー・シェパードは33年前にこの店を買い、今もオーナーとして毎日お店にいる。「ブルースの大物はみんなここでプレーしているわ。だから、今もミュージシャンの間では有名だし、みんなこのステージに立ちたがるのよ」と笑いながら言う。

「リアル」なものがどんどん消えていく現在では貴重な貴重な存在のクラブだ。

Friday, August 04, 2006

エルビスのギター


ビデオ撮影が終わり、今日はスチルの撮影のはずだったが、監督が肺炎(?)で入院し、渡米できなかったため、スチル撮影の仕事はなくなった。1日早く、アラバマからミシシッピーへ向かうことに。

まずはミシシッピーの北東にあるトゥペロへ。私の大好きなヴァン・モリソンの曲も「トゥベロハニー」だが、トゥペロといえばプレスリー生まれの地。途中で小さな道ばたのダイナーでランチをとりながら(アメリカの食事の料が巨大なのは有名だが、何故か、南部のこのような場所では普通サイズなのが驚き)美しい田舎道を走り、まだ午後の陽も高い時間にトゥペロに着く。プレスリーの生家というのがあるのだが、観光スポットなので見逃せないようになっている。

今ではこの地域は「プレスリーハイツ」と呼ばれている普通の住宅街だが、昔は貧しい人たちが住む「線路の向こう側」だった。プレスリーの家は小さな二部屋しかない家で、ほとんどそのままの状態で保存されている。(エアコンは観光スポットになってから設置された。)6ー8畳くらいの部屋が二つだけ。一つはベッドルーム、もう一つはキッチンだ。プレスリーのお父さんは$180を借金して自分の手で建てたとか。でもローンを返済できず、とうとうエルビスが3歳の時にプレスリー家はこの家を出て(銀行に没収されてしまったのだろう)祖母の家に移り、13歳の時に家族は仕事を求め、メンフィスまで引っ越したのだ。

この家、そして対照的に豪華な(というかケバイというか)グレースランドを訪問するとプレスリーの始まりと終わりが伺えるはずだ。そして、この両極端の間にエルビス・プレスリーという男、伝説、アイコンがいるのだ。

トゥペロに来ると、エルビス縁りの場所がいろいろあるのだが、あまり商業的になっていないのがナイス。「エルビスまんじゅう」まではいかなくてもエルビス関連のお土産屋がたくさんあってもおかしくないが、そういうのは生家の裏にあるプレスリーミュージアムのギフトショップのみだった。たとえば、生家の近くにあるジョニーズ・ドライブインは若きエルビスが友達と集っていたバーガー屋で「このブースでいつもエルビスはドーバーガー(ひき肉に小麦粉の「つなぎ」を混ぜたバーガー)を食べていたのよ」と教えてくれるウェイトレスがいたり、エルビスの写真が壁に掛かっているが、エルビス・テーマ・レストランからはほど遠い。エルビス・バーガーもなければ、BGMもない。

線路を超え、メインストリートに来ると、トゥペロ・ハードウェア・カンパニーという金物屋がある。ここでエルビスは11歳の時にお母さんに最初のギターを買ってもらったとか。毎日訪れる観光客に年配の店員、ハワードが丁寧に当時のことを教えてくれる。
「11歳の誕生日プレゼントとしてお母さんはエルビスに自転車を買ってあげようとこの店に連れてきたんだが、このカンターまで来ると、22口径のライフルが目に付き、それをお母さんに強請ったんだ。反対したお母さんにダダをこねていた時、店長がそれじゃあ、ギターはどうかね、とここにあったギターを指した。エルビスはギターを触ってみた。で、お母さんが、どうする?ギターにする?と尋ねると、彼は素直にイエス、マム、と答えたんだ」

この店はちゃんとした金物屋でハンマーや釘なども買えるが、今でもギターを売っている。そりゃ、そうだろう。「エルビスが最初のギターを買った同じ店で私も!」という観光客はけっこういるからね。
「有名ミュージシャンもそうだよ。前にエアロスミスのジョー・ペリーが来て、このサンバースト型ギターを買っていった」とハワード店員は教えてくれた。

でも、ひねくれ者の私だったら「エルビスが最初にギターを買った金物屋でこのスパナーを買ったの!」と自慢したい。

Wednesday, August 02, 2006

スイート・ホーム・アラバマ

ニール・ヤングの南部を批判した「サザンマン」のアンサーソング、レイナード・スキナードの「スィート・ホーム・アラバマ」が頭から消えない。

ここに来るまでは南部というと白人主義者のレッドネックやゴスペルを歌い上げる黒人系の教会、フライドチキンにナマズ料理、くらいしかイメージできなかったが、ディープサウスはなかなか居心地のいいところなのだ!

蒸し暑いのは日本並みでちょいとつらいが、人々は優しく穏やか。しゃべり方も優しい。ゆったりした南部なまりだけでなく、人と接する時の優しさも言葉に出ていて、アメリカ人特有の攻撃的な雰囲気がここにはない。地図で日本をみつけられる人も少なそうだが(笑)なんだか和めるぞ。

でも、和んでいる暇もない。撮影は超ハードスケジュールで進んでいる。ここで書き込んでいる暇もないのだ!