Friday, June 27, 2008

エデンの季節、再来

気候も例年並みに戻り、運転免許テストのプレッシャーも消え、やっと牧場ライフに落ち着きはじめている。

やらなければならないことは山ほどあるし、ここに戻ってから植えた野菜が育つのにも時間がかかるが、今はベリーが美味しい季節だし、あと二日くらいでアプリコットが完熟になる。

春先の嵐の影響か今年は林檎の実が少ないけど、桃とネクタリンは去年より美味しそうだ。そして、昨日の発見はビワ。古い馬小屋のとなりにある木だが今までは実をまったくつけていなかった。なのに、どういう訳か、今年は奇麗なオレンジ色の実がたくさんぶら下がっている。日本のビワより皮が固く、つるっとしているが、味は日本のより凝縮されていて美味しい。

またまたエデンの季節到来!

Tuesday, June 24, 2008

地獄へ道連れ、その3

大安を狙った。
トラックを洗車し、中も掃除した。
トラックに優しく話しかけた。「明日、よろしくね」
洗車している間、ペニーをみつけた。(ラッキー!)
浅草寺のお守りを財布に入れた。

なんだか、祖母がやりそうなことを全てやって本日の運転試験に挑んだ。

「そんなことやる暇あるんだったら、もっと運転の練習すればいいのに」と西洋的なマインドのビッグドッグに言われそうなので、洗車以外の準備はすべてナイショだった。無駄なことかもしれない。自分でも「お前、アホじゃない?」と思ったりもしたし、特に「大安」なんて日本時間でもないのに・・・とも思ったが、気構え心構えが大事!

後は、一番運転しやすいボロボロのビーチサンダルを履いて、準備万端・・・ではないが、午後2時、サンルイス・オビスポのDepartment of Motor Vehicles(DMV)へ。

ヒスパニック系の少年の試験を終えたばかりの試験官”キャシー”は白髪まじりのロングヘアを後ろにまとめた感じのいいおばちゃま。私をみて「どうしたの?また運転試験をやらなくちゃいけないなんて」と訪ねた。よほど酷い運転か事故か飲酒運転のトラブルでもあったのだろうか?そんなふうに見えないが(と思っていたのではないだろうか?)
「日本から来たんです」
「ああ、なるほど。国際免許は取らなかったの?」
「免許を持ったことがないんです。運転もバイク以外はしたことがありません。電車や地下鉄が充実しているから、必要なかったんです」と説明する。

キャシーさんは助手席に座り、試験が始まる。サンルイス・オビスポの街は道が狭いわりには交通量が多い。かなりごちゃごちゃしている。もちろん、東京とは比べ物にはならないが、いつも走りなれている牧場付近ののんびりした道ではない。緊張しまくっている。

どうか、いきなり歩行者が道にでてこないように。どうか、前の車が急に停車しないように。
どうか、頭が真っ白にならないように。どうか、漫画のようにハンドルが取れないように。
ドキドキしていると、想像力が一人歩きしてしまうのが問題だ。

そんなことおかまいなしのキャシーさん。隣でぺちゃくちゃが続く。
「前の車、ウィンカーしているけど、左に曲がらないわよ。ふん。まともに運転もできないであんな高い車に乗って。」
「7月が待ち遠しいわ。」7月から運転中の電話通話はハンズフリーが義務づけられる。「運転しながら電話している人みるとムカつく。あれ、ほんとうに危ないんだから。」
「見た?あの人、両手でサンドウィッチ食べて、膝でハンドルきっていたでしょ!」

そんなもの見ちゃいないよ!運転に集中しているんだから!

「ね、アナタ、日本で育った人の英語じゃないけど、どうして?」

こっちは試験中なのに~~~!ん、もう~~~。

だが、大きなヘマもしないままDMVに戻れ、試験は合格だった。DMVの駐車場には「やった~!」と嬉しそうに飛び跳ねている10代の女の子がいたが、彼女は仮免を獲得したばかりらしい。(私の前の少年はどうだったのだろう?)私もトラックの荷台で勝利のダンスを踊りたい気分だった。こんなに浮かれているとき運転したら、それこそ事故ってしまいそう。私はビッグドッグにトラックの鍵を渡した。

「今日から私もカリフォルニア・ドライバー。恐ろしいね。」

Monday, June 23, 2008

ホット!!!からほっと

「シェル・ビーチは116度!」
「サンタマリアも新記録!」
「サンルイス・オビスポは113度でこれも新記録!」
毎晩、テレビのテレビの天気予報は大騒ぎ。

先週の中央カリフォルニアは記録的な猛暑に見舞われた。
通常、カリフォルニアの海岸エリアは一年を通して穏やかであまり変化のない気候に恵まれているのだが、先週は例外だった。火曜日から暑くなり、ピークの金曜日、牧場でも午前中で既に105度(摂氏40.5度)日中は110度くらいまであがっている。一つ山を超えたビーチエリアは全域が116度(46.6度)という信じられない暑さだった。

東京のラジオ番組をやっていたころ、猛暑が続いたある年「36度まであがったらパンツ一丁で放送するぞ!」とリスナーを“脅した”ことがあったが、大陸の猛暑に比べたら36度なんて屁でもない。我々も外の仕事をやめて家の中でぐったり。内陸から熱風が吹いてくるので窓も閉め切っていた方が涼しい。日が沈むころ、やっと少し涼しくなり、さあ、少し仕事を・・・と思うと実はもう夜の8時だ。暑さを喜んでいるのは葡萄たちだけだろう。海岸近くは葡萄には穏やかすぎる。ワイナリーが多い中央カリフォルニアだが、ほとんどが少し内陸の方だ。

「わ〜い!このまま続くといいね!」なんて話し合っていたのかも。
それにしても自然は強い。馬たちも平気で木陰のない原っぱで草をむしゃむしゃ。コウモリも蒸し風呂状態であろう屋根裏でごそごそ。アリたちも水がある場所を目がけてマーチ。人間ってなんて軟弱なのだろう。

「この暑さが続いたら、昼間メインの食事をして、長~いシエスタをとって、夕暮れから仕事しようね」
そう言っていたら、予報通り、昨日から徐々に涼しくなり、今朝は久しぶりに爽やかだ。ほっ。

Tuesday, June 17, 2008

地獄へ道連れ、その2

人生で一番恐い体験だったに違いない。

運転免許テストは来週の火曜日、予約済みだが運転にまるで自信がない私だ。それほど運転していないのが問題だと思うが、忙しいのと、カリフォルニアにいる期間が限られているのと、ガソリンが高すぎて無闇に運転できないなどなどが重なってしまった。その上、ビッグドッグは私の運転を貶すだけだ。

ドライバーはみんな自分が世界一のドライバーだと思っている。そうでもない、と思う女性ドライバーはいるかもしれないが、「僕は運転が苦手」という男性には会ったことがないし、たぶんこれからも会うことはないだろう。もちろん、ビッグドッグも例外ではない。一緒に走っていると、まわりのドライバーを批判しまくる。自分と同じことをしていても。ただ、私の場合、本当にまだ下手なのだ。今まで自転車というとても身軽な乗り物が足だった。トラックを運転するというのはなんだか巨大なお尻をずるずる引きずっているような感覚だ。ちっとも心地よくない。乗馬の方が100倍いい。同じモーター車両ならオートバイの方がベター。だけど、そんな贅沢をいっている場合じゃない。24日には最初のドライビングテストが控えているから何が何でも練習しないと!

昨日、アケータから中央カリフォルニアに戻ってきたのだが、サリナスでガソリンを入れてから牧場近くのモーローベイまで私がハンドルを(ぎっしりと!)握っていた。これはビッグドッグにとって今までに体験したことのない恐怖だっただろう。まず、トラックの荷台は道具などで山盛り。後ろの座席も箱やバッグでギッシリ。バックミラーには荷物しか映らない。助手席も後ろの荷物でぐっと前に出ているだけでなく、プランターや鞄などで窮屈。しかし、ビッグドッグは窮屈さなんて感じないくらい恐かったのだろう。

フリーウェイをびゅんびゅん走る中、隣で彼はブチ切れるのを抑えながらも「何してんだ!左により過ぎてる!スピード落とせ!追い越すの?どうするの?早く決めろ。クルーズコントロールなんてどうでもいい。いじくるな。右にそってるぞ。なんだスピード落とすんだ?フリーウェイだぞ!」

フリーウェイを降りて田舎のハイウェイへ入ると後ろの車にクラクションを鳴らされてしまう。

「速すぎる!」
「これが制限速度よ」
「そんなのどうでもいい。君には速すぎるんだ。」
「でも、後ろが渋滞してきた。」
「後ろのことなんて気にするな!!」
「プップ~~~!」とうとうクラクションが。
「バカ野郎!!!!」ビッグドッグはクラクションを鳴らす車に向かって怒鳴る。

まさにハイウェイ・トゥ・ヘル。私にとっても、まわりのドライバーにとっても、そして誰よりもビッグドッグにとって。だが、なんだかんだ言っても誰も死なずに牧場に戻ってこれたから、下手なドライバーでも世界ワーストではない。そう思う。そう願う。

Sunday, June 15, 2008

地獄へ道連れ、その1

日本にいる時は一度も必要性を感じなかった運転免許。しかし、アメリカ、特にカリフォルニアでは自転車のみ、という別けにはいかない。それに、山奥で何かが起こり、仕方なく車を運転し(それも、何故かマニュアルのワーゲンなのだ)町までおりるという悪夢は昔から何度もみているので、潜在的には運転しないというのは何かしらトラウマになっているのかもしれない。

ということで、2004年に仮免を取得した。

サンタモニカのDepartment of Motor Vehiclesでペーパーテストを受け、視力の検査をするだけで取得できるのだが、日本の試験所とあまりにも違うので少々戸惑ってしまった。

「仮免の申請をしたいんですけど」
玄関の机に座っているおばちゃんにいうと彼女は「アナタのため?」と驚いたようにきく。そうだよね。私ぐらいの年齢の人だったら、15歳の子供のために申請しにきた、と思われても当然。

番号札と申請書をもらい、30分くらい待つと番号が呼ばれる。

妙にキレている年配の男が14番窓口の主だ。デフジャッム・レーベルのボウリングシャツが白髪に似合わない。ここでは服装はみんな自由だ。制服姿の人なんて一人もいない。11番窓口の女性は体系にはピチピチすぎるスパンデックスの上下だ。

デフジャム男はちょっと俳優サミュエル・L・ジャクソン似だ。今にも『パルプフィクション』のシーンのように聖書を引用しそうなのだが、私の申請書をみるといきなり怒鳴り出す。
「この住所はなんなんだ!」その頃、私はまだ観光ビザで入国していたので、住所欄は日本の住所だった。「なんだ、この日本っちゅうのは?ここに住んでいないのに、なんで運転免許が必要なんだよ!第一、ソーシャルセキュリティ番号もないのに、免許が発行されるわけないだろ?」

今はまだそうだけど、運転の練習がしたい、と説明する。

ジャクソンさんは引き続き私を罵る。もうロスにはドライバーが多すぎる、アンタになんか与えられない、どうせ身分チェックをパスしない、等々。同時に部屋中の人たちをからかい、あちへ踊り、こっちへ踊り、歌い、私の申請書をヒラヒラ振り回しながらあちこちへ持って行く。時々、大きな音をたて嘆をきる。そして、また窓口に戻り、私にいう。
「ま、まずテストをパスしないとな。チャンスは3回だ。全部無駄にするな。」

とても、とてもシュールな体験だった。

その夏はちょこっと運転したが、秋には仮免も切れてしまい、それから3年間は一度も運転していなかった。で、去年の夏にまた仮免を取得したが、今度は中央カリフォルニアのDepartment of Motor Vehiclesだった。いかれたサミュエル・L・ジャクソンなんていない。がっかりだ。それから焼く12ヶ月。その仮免もあと2週間くらいで切れてしまう。この1年間で合計3時間くらいしか運転していない。仮免が切れる前にドライビングテストを受けなければならないが、どうなることやら!ゲゲゲゲゲ。

Sunday, June 08, 2008

Happiness is a Warm Gun

「幸せとはぬくもりの残る拳銃」

ビートルズのホワイトアルバムにも同じタイトルの曲があった。スヌーピーでお馴染みの漫画ピーナッツの一コマ「Happiness is a warm puppy: 幸せはあったかい子犬」をあるガン専門誌が表紙でもじったのがHappiness is a warm gun。ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンがたまたまその雑誌を見つけ、ジョン・レノンに見せたとか。 温もりを残す銃は打ったばかりの銃という意味でなんとも悪趣味なタイトル。悪趣味だが、ちょっとシュール。そんなところがジョン・レノンを魅了したのだろう。(彼も銃で殺されてしまったというのは痛い皮肉だが。)

でも、私を虜にしているのはガンはガンでもコーキングガンだ。そう。あのバスタブの周りなどをシリコン剤でふさぐ時に使う工具。美しくコーキングするためにはかなりの集中力、目と手の動きの絶妙なバランスなどが必要だが、こういう作業が大好きなのだ。そして、完成したコーキングラインが完璧だとそこには何とも言えない満足感がある。

「プロ以上だわ」なんて自分で自分を煽てながら新しいキッチンドアの窓をコーキング。古い玄関の扉の窓もコーキング。新しく再生されたフローリングと壁の隙間をコーキング。すっかりコーク・フリークになってしまった。

Wednesday, June 04, 2008

上肢静止不能症候群?

アメリカのテレビを見ていると信じられないほど処方薬のCMが流れる。薬局で普通に買える製薬ではなく、医者の処方箋が必要な製薬のCMだ。どれも「さあ、さっそく担当医に訊いてみよう!」のようなコメントが最後に明るくついているのだが、その後に早口で「副作用には…などがあります」と、いくつもの恐ろしい副作用があげられる。このようなCMばかり見ていると嫌でも病名に詳しくなる。

「あ、そうか。ビッグドッグに夜中蹴飛ばされるのは寝相が悪いのではなく、下肢静止不能症候群だからなのね」というふうに。でも、下肢静止不能症候群も寝相が悪いのも同じような気がするのだが。それに、そのために薬を飲み、肝臓に余計な負担をかけるのもどうなのだろう?一晩中蹴飛ばされっぱなしだったら、そりゃあ、薬をガンガン飲ませちゃうかもしれないけど。

でも、ビッグドッグが下肢静止不能症候群なら、私は上肢静止不能症候群。正確にいうと、静止不能なのは手だけなのだが。これは遺伝だと思う。祖母も手を止めてなんかいられなかった。薪で炊事洗濯、夫の商売の経営、子育て・・・昔の人は朝から晩まで働いていたが、それでも夜は縫い物をしたり、ほんとうに「暇」な時は古い着物の生地でお手玉などを作ったりしていた。母もいつも手は動きっぱなし。あまりにも動いているので、かすんでしか見えない時がほとんどだった。そして、私の手も止まってくれない。電話をしている間なんて、メモ用紙にビッチリ落書きしてしまう。円形や四角の連続だ。

だからか、祖母も母も私もデリケートでフェミニンな手ではない。ゴツゴツした骨張った手。血管が浮き上がった手。優雅に暮らす女性の手というよりは働き者の手だ。でも、そんな手でも私は大好きだ。いや、そんな手だからこそ好きなのだ。数週間の来日中にまた始めたかぎ針編みもそんな手静止不能症候群な私にはどんな処方箋よりいい薬。お陰で9時間のフライトも静かに過ごせて、太平洋を渡ったころにはかわいいポシェットの出来上がり!(写真は静止状態の母の手。超レア!)

Monday, June 02, 2008

メランコリー


言葉にするには寂しすぎる時もある。
言葉にするには悲しすぎる時もある。
小さな空が隠されている露の玉も知っている。
旅だち前のこの気持ち。