Friday, October 28, 2011

大富豪じゃないと病気になれない

7万5千ドルだ。いや、正確には7万4千9百17ドルと13セント。これが私の入院費だ。
請求額を見ただけで倒れてしまいそうだった。

先週、金曜深夜。何ヶ月も続いた牧場での建設作業、ネズミ退治、畑仕事などで疲れ果てていたところにビッグドッグの妹夫婦と父親がやってきた。死にそうに疲れていた。疲れのあまり金曜日はほとんど夕食も食べられなかったので、最初は空腹感かと思っていたが、そのうち消化不良っぽく感じるように。だが、それもどんどん悪くなり、みぞおちが思いっきり蹴られたような痛みになってしまった。それも蹴られた時の瞬間的な痛さではなく、継続的な痛さだ。

あまりの痛さで吐き気を催すように。何か食べ物にあたったのだろうか?だったら吐き出せばよくなるはず。家はビッグドッグの家族でいっぱいで、我々も音楽部屋に布団を引いて寝ていた。客がいるのに夜中バタバタできない。そっと一階のトイレに行こうとすると急激に痛みが増し、階段の上で転んでしまったが、なんとか這い降りた。

何も吐く物がない。夕食は早かったし、あまり食べていなかったからな。どうやら食中毒ではなさそう。ちょっとホッとした。食中毒だったら客の心配もしなければならないからね。

それにしても、痛みはどんどん酷くなる。いつまで我慢できるだろうか。トイレとソファを行ったり来たりしているうちに耐えられなくなってくる。午前3時頃にはたまらない。救急車を呼ぶ?それともビッグドッグを起こし、病院へ連れて行ってもらう?それとも屋根から飛び降りる?そんなことを考え始めたら、病院へいくしかない。ビッグドッグを起こした。

トラックの後ろの座席に丸くなったまま、病院へ向かってもらったが、なんとも長い道のり。そして病院の待合室でも永遠と待たされた。

痛みって強烈なパワーを持っている。常識や恥じらい、抑制などをすべて取り除いてしまう。椅子にも、車椅子にも座っていられないほどの痛み。ほとんど我慢できない痛み。病院の床は汚い。病原菌がウヨウヨしているだろうが、どうでもいい。汚い床の上に横になり、膝を抱え、目を閉じたまま唸っていた。どこくらい時間が発ったのだろう?やっと担架が現れ、救急室へ運ばれた。

「痛みのレベルはどのくらいですか?1から10のスケールだったらどのくらいですか?」入院係が訪ねる。
もっと気が確かだったら「12!」と叫んだだろうが、まともに息もできなかった私は「10」と唸った。

アメリカの医療は痛みを我慢させる医療ではない。すぐにモルフィネを注射された。が、まったく変化がない。そう伝えると、2本目、3本目と打ってくれる。やっとなんとか我慢できるくらいまで痛みは治まった。動くと死にそうに痛いけど。吐き気を抑える薬も打たれた。点滴の管がいつの間にか腕に。それからEKGだのCTスキャンだのエコーだのの検査だ。やっと土曜の朝8時頃、病室へ運ばれた。意識が朦朧としていたので、あまりはっきり覚えていないが、夕方頃、また誰かがやったきて痛みのレベルを伺った。

モルフィネのお陰で屋根から取り降りたいほどではなかった。
「4くらい?」と答えた。
だが、ずっと後で、意識がまともになった時、壁に「痛みの段階」というチャートがあることに気づいた。ゼロは「痛みなし」だが絵はニコニコ顔。私としては痛みがないだけでニコニコにはならないぞ、と思った。「いい気分」がニコニコ顔よ。「痛みなし」は無表情。ま、それはどうでもいいのだが、まだまだ4のレベルからほど遠かった。このグラフではレベル8くらい?

上が彼らの基準下が私の基準。


そんな感じで4日間入院していた。

3日目くらいから痛みがみぞおちからおへその辺りへ移動。水もチビチビと飲めるようになった。4日目からは液体食も少し口にできた。まだ4時間おきにモルフィネを打ってもらってい、良くなっているかな、と思うと逆戻りしたり。

私が入れられた部屋は相部屋で文句ばかりの入れ墨母さんと野球ファンでワールドシリーズを熱心に追っていたおばちゃんに挟まれていた。彼女たちがテレビを見るには私の仕切りのカーテンを開けておかないとダメだった。痛みの中、プライバシーがないのは辛い。そして、彼女たちは肺炎で入院していたらしいが、妙に元気で一晩中ペチャクチャおしゃべりしていた。やっと3日目に彼女たちは退院。次にやってきたのはボケ老人。どこが悪いのかわからない。

でも、私の痛みも何が原因なのか全く不明だった。いろいろ検査しても何も現れず、最終的には「ウィールス性胃腸炎」と片付けられてしまった。(検査の結果が出る前は担当の医者は「モーローベイの牡蠣にあたったんだ!」と断言し、自分の食中毒体験を延々と聞かされた。彼は私が何を言っても「いや、牡蠣による食中毒だ」と決めつけていた。もっと元気だったら反論していたが、そんなパワーはどこにもなかった。)

超健康体の私は入院なんてしたことがない。風邪すらひかない。だから、病院にいるだけでネガティブなエネルギーで更に弱ってしまいそうだった。食事もいつもは食べない加工品ばかり。一日も早く家に戻りたかった。痛みさえ我慢できるようになれば!

4日目くらいにビッグドッグが医療費を伺ってくれた。その時で5万ドルくらいだった。
「何?!5万ドル?!ウソだろ!」ビックリのあまり心臓発作を起こしそうなビッグドッグだった。
東京でメディアの仕事をしていた頃、番組のプロデューサーがロサンジェルスで盲腸になり、救急車で病院へ運ばれたのを覚えている。彼はスター御用達のシーダース・サイナイ病院へ運ばれ、内視鏡手術を受けた。
「高級車が買えるくらいだった」と彼は当時驚いていたが、私の場合は田舎の病院。近くの刑務所からの囚人もうろうろしているような病院だ。手術もなければたいしたケアもない。救急車も頼んでいない。なのに、私の請求金額はアリゾナでプール付きの家が買えちゃうくらいだ。

囚人や浮浪者、違法移民など、医療費を払えない人たちは無料でケアを受けられる(というか、受けちゃった者勝ちだ。)その分、普通の働き、社会に貢献している人々が穴を埋めている。アメリカは国民健康保険制度がない。他の国を知らないアメリカ人は自分の国のシステムが世界一だと信じていて、変化を拒否しがち。オバマ大統領も健康保険制度と改善するという公約のもと選ばれたが、今やヘルスケアなんて忘れられてしまった。大きな会社に勤めている人たち、軍事関係の人たちなどはまともな健康保険を持っているが、一般的には民間の保険しかない。で、民間なので利益ベース。何かと支払いを拒否したり、いろいろ制限があったり、年々掛け金が上がったりだ。大きな病気で倒産する家族は珍しくない。

だから、アメリカで病気になりたければ(誰がないたいんだ!)その前に大金持ちになるように。ビル・ゲーツ並みの。でなければ、犯罪を犯し、刑務所ですべてのケアを受けるんだね。

Monday, October 17, 2011

Xターミネーター

今年は何故かゴーファーが少ない。でも喜ぶ間もなく、新しい外敵がやってきた。

今まではいっこ離れた谷の方でよく見かけたジリス。木ではなく、土の中に巣を作るリスだ。どうやって小川を経て我が牧場に来てしまったのかわからないが、ジョンとローズの畑は荒らされっぱなしだ。キュウリ、レタス、ズッキーニー類が被害にあっている。トウモロコシもやられているかも。

リスたちは倉庫として使っている日本郵船の古いコンテナの下に巨大な巣を作ったようだ。ジョンとローズの立派な畑がコンテナと私の小さな畑の間にあるので今のところ私は被害にあっていない。

リスだけならまだいいが、最近、大繁殖してしまったネズミもあちこちに現れる。小さな野ネズミからちょっとかわいいディアマウス(「鹿ネズミ」という意味だが、大きな耳とぴょんぴょん跳ねる姿がキュート!)そして、気持ち悪いクマネズミ。鶏小屋や収納庫、そして奥のオークハウスにまで出没している。

「許せない!」と意気込むビッグドッグはターミネーターならぬ、エクスターミネーターと化した。

一日の終わりにはあちこちまわり、ねずみ取りや罠を設置。ねずみ取りのエサはピーナツバターが有効だったが、私たちのオーガニックピーナツバターを使うのがもったないと思ったビッグドッグはスーパーで安いのを買ってきた。しかし、スーパーのピーナツバターでは一匹も捕まえられない!(かなりヤバいと思う。ネズミも食べたくないピーナツバターなんて、もう、二度と食べられない!)リスは罠へおびき寄せるため野菜や果物で釣っている。(罠にはリスより小鳥やネズミが引っかかるのだが、罠にかかった動物は谷の向こう側へ逃がしてやる。)

「洗濯部屋で何かが死んでいるみたい」とマッケイン・ママが教えてくれたのは数日前。「酷い匂いなの。」

それをほっとくの?私には理解できなかったが、ネズミが入ってこれそうな穴を塞ぐためオークハウスに行かなければならなかったので、ついでに様子を見ることにした。

キッチン、廊下のクロゼットなどを点検し、壁に開いていた穴を金タワシのようなもので詰めると、今度は洗濯部屋だ。ドアを開けたとらん、ひっくり返りそうになった。ウッ。死んで腐った動物の激臭!最初はどこから来ているのかわからなかった。洗濯部屋はガラクタで埋まっていたし、あたりは乾燥機からの綿ぼこりや糸くずに覆われていた。洗濯部屋にはネズミが入れそうな穴はなかったが、隅の湯沸かし器が入っているクロゼットを開ける、、、間違いない。ここがネズミの巣だった。糞だらけ。息を止めて掃除機でどんどん吸い取ったら、激臭の原因が見つかった。腐敗しているネズミの死体。慌てて割り箸でつまみ、洗濯部屋から庭へ放り出した。放り出したのはいいが、死体の底はウジ虫だらけ!発狂しそうだったが、グッと我慢し漂白剤を上からまき散らした。

洗濯部屋の向こう側からマッケイン・ママの声がした。
「後で私がやるからいいですよ」と。
「だったら最初に匂った時にどうしてやらね〜んだよ!!!」と怒鳴りたかったが、そこも我慢し、片付け続けた。もうここまで来たら、最後までやらないと。何週間もそのままにされる可能性も強いし。それに牧場で暮らすにはこういうこともできないとダメなのだ。特訓だと思わないと。

でも、湯沸かし器のクロゼットの穴を埋めたら、即、逃げた。自分の家に戻り、延々とシャワーの中で隅々を洗った。うがいしまくった。髪も何度も洗った。鼻の中までゴシゴシ。そして、やっと叫びを漏らした。「サイコ」のシャワーシーンに勝てそうな叫びを。

Saturday, October 01, 2011

トメート

上から読んでも下から読んでも(あ、このブログだと「右から」「左から」ですね)トマト。

牧場の夏は遅いので、やっと待ちに待ったトマトの季節到来!

小さい頃から大好きだった。

トマトって中南米からヨーロッパに、そして世界に渡った植物。「トマト」も語源は中米ナファトゥル族のトマトゥル(「膨らむ果実」)から由来するとか。コロンブスかコルテスがトマトをスペインへ持っていったそうだが、ヨーロッパ初のトマトについての書物はイタリア人の医学者兼生物学者の物らしい。そこではトマトをポモドーロ、黄金の林檎と呼んでいた。

西洋思想のルーツの一つ、ユダヤ教の創世記でイブはアダムを「禁じられた果実」で誘惑し、その果実を表すのは林檎が一般的だが、林檎って固くて、あまり誘惑的じゃないよね。やっぱりトマトの方が相応しいと私は思う。

小さい頃からトマトが大好きだった。今も一番好きな野菜&果物。生物学的には果実だが、アメリカでは法律的には野菜だ。青果に「法律的」な意味を付けるのは弁護士王国アメリカらしい。

小学校の時、一度だけトマトを育てたことがある。育てることが苦手な私はカメや金魚や小鳥をすぐ死なせてしまっていたが、トマトはなんとか一つだけ、大きな実ができた。嬉しさのあまり、その巨大なトマトを取り、糸を付け、棒から吊るし遊んでいた。グルングルンと振りながら。でも、すぐに糸から取れてしまい、裏庭のパティオのコンクリートにベシャッ。ガ~~~ン。折角のトマト。味もみないまま殺してしまった。

九州のおばあちゃんも絶品の白桃の他、世にも美味しいトマトを育てていた。数回しかおばあちゃんの家に行っていないし、亡くなる前、最後に行ったのが16歳の時だったが一緒に畑に行って収穫したトマトの味は忘れられない。それどころか、記憶の中でどんどん神話化している。今まで自分で美味しいトマトを育てることができなかったからな。(東京でトライした時は花だけで終わってしまったし。)

東京に住んでいる頃は実家がある大泉学園に行くと、一夏中、近所の個人農園の美味しいトマトが安く買えたが、アメリカはファーマーズマーケット以外はあまり美味しいトマトに出会えない。(ファーマーズのエアルーム・トマトは最高だが、値段もそれなりなのだ。)だから、牧場でトマトの季節が来るのが待ち遠しい。しかも、ここは夏が遅い。でも、やっと本格的にトマトシーズンが到来すると、、、あああ、天国!この果実は独り占めにしたい気分。アダムになんてあげないぞ。
夏の瓶詰め!