Friday, June 30, 2006

We All Came Down to Montreux... (モントリュー、スイス)

モントリュー・ジャズ・フェスティバル、去年に続いて、また今年も取材のためにきている。

28日、パリのリヨン駅からTGVでロサンヌへ、そしてローカル線に乗り換え、モントリューにやってきた。途中、税関と警察が乗り込み、パスポートと荷物チェックがある。とは言っても、ほとんどの人はパスポートのみで、我々の後ろにいた謎のアジア人男性だけが綿密にチェックされていた。かわいそうに。スイスの警察は意外とちゃんと武装しているのに驚く私。

モントリューはルマン湖の畔にある美しい、奇麗な街だ。フェスティバル期間中は世界中からミュージシャンやお客さんが詰めかけてくるので、かなり活気に溢れているが、普段は死にそうに静かで退屈な街だろうな、なんて思ったり。年寄りに向いているのね。またはファンに追っかけられたくない孤独好きなミュージシャン。フレディー・マーキュリーのように。この街のヒーローの一人である彼の銅像はプラザに立っている。拳を上げたポーズで。

日本もちょっとそうだが、モントリューは国際的に知られることに命をかけているカンジがする。
「あのディープパープルの曲、スモーク・オン・ザ・ウォーターはここのカジノの火事を歌った曲なんだ」と地元の人たちは誇らしげに訪問客に伝える。フランク・ザッパのコンサートでファンがロケットを飛ばし、カジノに火がついてしまった事件だが、ザッパのことは誰も語らないのが不思議だ。湖の畔には「スモーク〜」の彫刻っぽいサインがあるが、ザッパへのトリビュートはなにもない。

"「フレディ・マーキュリーはここに住んでいて、スタジオももっていたんだ」
「ブラジミール・ノボコフも住んだことがある」
「ヘミングウェイもここでバカンスを過ごした」
街の案内状にはこのような有名人との「タイアップ」が沢山紹介されている。

去年はフェスティバルの中盤、数日しか滞在しなかったが、今年は始まる2日前から終了するまで滞在できるので、取材も少しペースを落として行えるのだろうか。だといいのだが。

それにしても、フェス開会2時間前になってもロビーには箱、飾られていないディスプレー、陳列されていないグッズだらけ。
「日本だったら、今ごろ誰かがテンパって怒鳴りちらしているだろうね」
「モノが飛んでいるかも」
でも、会場には間に合わなくても、開演時には全てが整っていた。日本ももう少しリラックスしてもいいのかも。

Monday, June 26, 2006

ブルターニュの週末 (ポンタヴェン)

モンパルナス駅からTGVで4時間。ブルターニュのフィニステールは古代フランス人にとって名前の通り「地の果て」だった。あたりの標識はフランス語の他に地元の言葉でも書かれていて、ちょっとした独立運動も始まっている。ここはケルト文化の土地なのだ。

石のモノリス、低い石の塀、そしてなんともチャーミングなからぶき屋根のコッテージ。まるでおとぎの国のようだ。その上、魚介類が豊富でおいしい。

「ここに引っ越そうか?」
「カリフォルニアの牧場を売って!」
ビッグドッグの不動産収集癖が刺激されてもしょうがない。本当に美しい土地だ。

ここに住む友人、チャールズはイギリス南部で育つが、20代の頃は日本でモデルとして働き、のちにヨーロッパへ渡り、映像制作のコーディネーターとして働いている。「地の果て」に移り住む前はフランス人の妻ソフィーと南フランスで暮らしていたが、「暑すぎる」理由からブルターニュへ来たらしい。今は制作の仕事がない時には自分の手で古い農家を改築し、8歳になるかわいい息子と充実した日々を過ごしている。

偶然にも東京からもう一人、友人が来ていた。外人映像制作会社仲間のオーストラリア人、ジョジーナだ。彼女は広告業界のコンベンションのためカンヌに来ていたのだが「業界のノリに耐えられなく、抜け出してきた」とか。ちょっとした同窓会のような週末になった。

緑輝く風景の中をドライブしたあと、大西洋につながる入江にあるビストロでソフィーと彼らの地元の仲間たちと合流。すでに6時頃なのにまだ太陽は燦々と照っている。

アメリカでは白ワインは女性の飲み物のように思われているが、フランスでは夏、特に昼間は男女共に白ワインを飲むようだ。赤ワイン派の私もフランスに来てから白ワインをがんがん飲んでいる。昼間から。郷には郷に従え、ですね。

もう少しフランス語ができればいいのだが、高校の時から使っていない私は自分のヘタクソなフランス語でまわりを苦しめたくない。その点、チャールズはちゃんと勉強してきたので、流暢なフランス語を話す。が、ソフィーは「うまいけど、口がレイジーだから、ちゃんと発音しないのよ。できるのに」という。

ビッグドッグもフランス語の発音の難しさに悩まされている。
「英語圏の人にとって、フランス語はかなりの顔面筋肉ワークアウトになるよ。英語はそんなに顔を動かさなくていいからな。でも、レイジーというんだったら、オーストラリア人の英語が一番だね」とジョジーナの方を見る。

「いや、チャールズのフランス語はかなりいいよ」と彼らの仲間の一人が言う。「でも、時々・・・例えば、彼は僕達に君たちの話をしたんだけど、日本から有名なチェロ奏者が来ると言っていたんだ」

その人の妻もチェロ奏者だから、私が有名チェロ奏者ではなく、ただの元ラジオDJだと聞き、どんなにがっかりしただっただろう!夕食を共にするはずだったが、彼らは現れなかった。

Thursday, June 22, 2006

夏至 2006 (パリ)

フランスは一応カトリックの国だが、パリにいると、不思議とケルト民族やローマ時代の影響が強く感じられる。
だからか、夏至の日はパリの街は一大パーティと化する。6月21日はラ・フェト・ドゥ・ラ・ムジーク。要するに音楽祭だ。と言っても有名ミュージシャンの興行的な祭りではなく、ストリートパーティなのだ。いたる街角や広場にはストリートミュージシャンが現れ、夜中まで演奏している。
我々のカルチェラタンも大盛り上がりだ。

昼からベルナールはそわそわ、準備に励んでいた。バーのとなり、歩道が窪んだところに何組ものジャズバンドを呼んでいたので、昼から心配そうに空模様を伺ったり、飲み物や食べ物の準備をしていた。


その間、ビッグドッグと私はデカルト通りやヴェルレーンがランボーと住んでいたムフタール通りを闊歩。ここでも音楽祭りは始まっていて、古い教会では賛美 歌を披露する聖歌隊や広場ではピンクフロイドのカバーを演奏するバンドが現れていた。ある角ではかなり大きな音でグランジが演奏されていたので、覗きに 行ったら、なんと小学生の3人組だった!

パンテオンのそばの教会の前では神父さんバンドが。スフロ通りにはゲンズブール風のいかした(そしていかれた)オジサンがリバーブいっぱいのギターを弾い ていた。みんなアメリカ音楽が大好きのようだ。(そして、パリの若者は意外に英語がうまいだけでなく、しゃべりたがるから30年もフランス語をしゃべって いない私には助かる。)

1時ころ、友人たちと夕食を済ませ、ベルナールのバーがある通りに戻ると、もうそこは人、人、人で埋め尽くされていた。

アバンギャルド系ジャズ、デキシーバンド、ブラジリアン、アフロキューバン・・・いろんなタイプのジャズバンドが次々と演奏し、路地はどんどんクレイジーに。そして、とうとう午前2時半にはパトカーが現れ、音楽が止められてしまった。

Wednesday, June 21, 2006

シャトーマルゴー 1985 (パリ、9区)


長い滞在だった日本も月曜日に離れ、現在はパリの友人、ベルナールが経営するカルチェ・ラタンのバーの奥の部屋にいる。なんともボヘミアン。彼は中庭を挟んだ向かいの小さなアパルトマンにいるのだが、日本の小さなアパート並みのサイズだ。4畳半くらいの居間に1畳のキッチン、2畳くらいのロフト。寝室は地下室にある。私と相棒、Big Dogがいるバーの奥の部屋はベルナールが日本料理屋を同じ場所でやっていたころキッチンだったそうだが、今はちょっと素敵なリビングに。キッチンを改造する時になんと何千年も前に掘られた井戸を発見。その井戸を修復(といっても、水はもう何百年も前からないのだが)インテリアの一部となっている。
カルチェ・ラタンはパリの中でも一番古い街だ。ローマ時代にはこのあたりだけが街としてあったそうだ。丘にあるパンテオンを中心に街が造られていたとか。どこも建物の底は考古学の宝庫なのかもしれない。
ベルナードも彼の友達もみんなこの井戸が自慢なのだ。博物館ものだからな。でも、日本人の私には少々無気味な要素も。
「ね、あの赤く流れているところは血じゃないよね?」
夜も井戸の中の明かりはつけっぱなし。でも、トイレ(バーの中にある)に行くには井戸の上を通らねば。プレキシグラスで覆われている井戸を跨ぐのはなんだか気が引けるので、できるだけ端をそっと通るようにしている。

最初の晩はベルナールの彼女、若い裁判官のジェラルディーヌに「今夜は友人の家に一緒に行くからね」と誘われた。日本にも行ったころがあるから、日本に長年住んでいた私たちに会いたくて、ということだったが、まんまと騙された。なんと、日本で仲良くしていたベルナールの従兄弟、フランソワの家だったのだ。
ベルナールは「特別の夜だから」と、とっておきの85年のシャトーマルゴーを持参。みんなきゃーきゃー、わーわー言いながら堪能したのだが、一番驚いたのはフランソワとマリーは11歳の息子にも注いでやったこと。まず、子供にワインを注ぐというのも日本人やアメリカ人には驚きだが、こんな高級なワインを?!そこがフレンチなのかも。「本当にいいものとは何か」というのは教育の一部として考えているのだろう。マリーは息子にまずワインの香りを嗅がせて、それからほんの少し口に含んで口全体で味を楽しむのだ、と教えていた。

Friday, June 16, 2006

まだ更新されず・・・

日本語版はなかなか更新されませんね。
ま、ここに来たなら、ここもチェック。
(な〜んて、かなり手抜きブログ!でも、ここで正体が・・・)

Saturday, June 10, 2006

見えないモノ

昨日、アーティストの友人とランチをしている時、「ね、ブログでは正体明かさないの?」と訊かれた。うぅぅむ。どうしようかなぁ。たぶん、書き続けるうちにバレてしまうと思うんだけど。だって、私の仲間ってみんな東京の「前身」の時の仲間だから、その人たちのことを書いていたら、絶対にバレるに違いない。

長年、ラジオの仕事をしてきた私は昔からラジオの魅力って「見えないモノ」だと思ってきた。なのに、どの局も番組宣伝にしゃべり手の顔写真を出してしまう。「見えない」から聞き手のイマジネーションがかき立てられるのに〜。魅力的な声やしゃべり方で「どんないい男/女なんだろう」とワクワクした少女時代。当時、ロスのロック局KROQに(今は名前すら忘れてしまった)かっこいいDJがいたんだ。「どんな人なんだろう?たぶんロックスターのような人なんだろうな」って思っていた。ある日、どこかのショッピングセンターのオープニングにそのDJが現れると知り、姿を見に行った。でも、そのDJはどこにもいない。ブースのようなところには太ったオジサンがレコードを整理していただけだ。DJのために準備をしていたのだろう。そのオジサンに私の好きなDJの在処を訪ねようと思った時にオジサンは急にマイクのスィッチを入れ、しゃべり出した。

ウンガァァ〜。なんと、そのオジサンこそが私の憧れの人だったのだ。

だから、私の正体がバレてもいいんだけど、あえて顔は出したくないね。ここでは。見えないからいいんじゃない。

Thursday, June 08, 2006

自己紹介をする前に、肩書きの話

日本は特にそうなのかもしれないけど、肩書きにこだわるよね。実際に何をしているのか、というよりはカテゴライズできる肩書きを知りたがる。人間関係、特に上下関係が日本語の会話には重要、ということもあるのだろうが、いろ〜んなことに興味を持ち、いろ〜んなことをしている人にとって、肩書きって窮屈だし、肩書きって可能性を制限してしっているような気がする。

弟はジャズサックス奏者で、釣り人。また、機械などのデザインもCADで作ったりもするんでだど、収入は普通の会社からお給料として貰っているので、自分のことを説明する時は「会社員」になってしまう。でも、そういう意識がなければ、サックスプレーヤーとしてもっと伸びていたかも、とか、会社員をしながらフリーのデザイナーとしてもやっていけたんじゃないか、とか思ってしまったり。

私もずっっっと肩書きを聞かれるとDJと言ってたんだ。分かりやすいからね。本当は映像プロデューサーでもあり、ライター、詩人、画家、などなどいろんなことをしていた/いるけど。やっぱりDJとして認められるまでは「DJです」と言い切っていた。

ある程度認められたら、DJ兼映像プロデューサーとか、DJに「兼」が着くようになるんだけど、私が関わって来た作品よりラジオ番組の方が知名度があるとちょっと複雑な気持ちになるのよね。DJのあとの「兼」が小さくなっているような。

今はラジオからも離れ、あまりプロデューサーとしての仕事も受けていないし、逆にもっと物を書いたり、アートをやったりしている。で、ある時、アーティストの友人に「自分をアーティストと呼んでいいのかしら?誰にも作品見せていないし、誰にもアーティストだと認められていないし」と言ったら彼は「アーティストという肩書きは言ったもん勝ちだよ」と教えてくれたのだ。

あ、そうか。

でも、、、そういう自分もいるけど、、、ライターである自分もいるし、、、ポエットだし、、、旅人にもなりかけているし、、、と考えると肩書きそのものが面倒臭い存在になってしまう。

箱の中、型の中に押し込まなくてもいいじゃない!今は名刺もないし、社会的地位も住所も職業もない。とても身軽だ。ジャニス・ジョップリンの歌、クリス・クリストファーソンの歌詞じゃないけど、freedom's just another word for nothing left to lose、失う物がないというが本当の自由!私みたいな人をカテゴライズできる言葉が生まれるまでI am nothing and I am everything.

Tuesday, June 06, 2006

こんにちは

暇っていいね。
昔は仕事の鬼だったのに。
今は鬼のように遊んでいる私。
これから日本語でもいろいろブログしちゃうよ〜〜。