Tuesday, March 20, 2012

怒っている


メキシコを旅していていつも不思議に思っていたのが:トウモロコシ畑はいったいどこなんだ?!

日本は成田に到着する前から「ああ、お米が主食ね」とわかってしまう。空から見下ろすといたるところが田んぼだ。それに比べてメキシコは信じられほどトウモロコシを消費しているのにあまりトウモロコシ畑は見当たらない。今回の南メキシコの旅では小規模の畑はパレンケとサンクリストーバルの間の山脈に沢山あったがメキシコの消費量を考えると数家族分という規模。全国を支えている畑はどこにあるのだ?

やっとわかった。巨大トウモロコシ畑は北米にあるのだ。

NAFTA成立後、アメリカ政府が助成する安い遺伝子組み換えのトウモロコシが大量に流れ込み、地元の農家を破産させ違法移民の津波を生んでいる。(そういえば、昔から南の国境を越える違法移民問題はあったが、大波になったのは90年代頃からだったなぁ。)北米からのGMトウモロコシを拒否する州もあるが(ミショアカン州とか)たぶん我々もいっぱいGMコーンから作られたトルティーヤをたくさん食べているに違いない。

民主主義はどこへいってしまったのだろう?これは最悪の資本主義、企業主義だ!

で、バッドニュースはまだまだ続く。企業農業の被害にあっているのはメキシコだけではない。北米(アメリカとカナダ)はすでに企業農業の支配下にあるのだ。加工食品のほとんどが何かしらGMOが使われている。「遺伝子組み換えのxxxは一切使われていません」と表示されていなければ、使われていると思っていいほどだ。トウモロコシから作られるもの全て(シリアル、甘味料、コーンスターチ、ホワイトビネガーなどなど)大豆、ナタネ、シュガービートなどもそうだ。

遺伝子組み換え生物をビジネスとする企業は安全性を訴え、政治献金やPRキャンペーンにも巨大投資している。一方、ヨーロッパでは「ノー・GMO」ポリシーがある。他の国ではGMOの表示が義務づけられているのに、企業に支配されている北米にはそんな法律なんてない。

私にとって希望の光は現在進行しているGMO表示ムーブメント。「表示を義務づけるか否か」を11月の選挙の議案のひとつにするかどうかだ。それまでは食品のラベルと睨めっこだな。


Saturday, March 10, 2012

トゥルム・ルン・ルン


最初はおちょくってばかりだった。住み慣れている太平洋側のな~~~んにもない漁村と比べるとユカタン半島の沿岸はどこもリゾート化されていて落ち着かなかったから。数日間、我が漁村以上にな~~~~~んにもない(だけど美しい七色の湖がある)バカラールでのんびりした後、いよいよメキシコのカリブ海沿いにやってきた。ビッグドッグは40数年ぶりに。

ホテルなどに埋め尽くされてしまっている海岸。(道から海がなかなか見えない!)
「エコ」のマーケティング。(なのにゴミが目立つ浜辺、、、)
スピリチュアリティのマーチャンダイズ化。
60年代ヒッピーの雰囲気を出すためにお金をかけすぎているヨーロッパの若者たち。
巨大開発寸前のムード。
などなど。海はめちゃくちゃ美しいのだが、いろんなことが気になってしょうがない。

でもね、何日か滞在しているうちにどんどん気にならなくなっちゃった。トゥルムで小さなアパートを借りてからはなんとなく地元の人になりつつあるのか、観光っぽい、リゾートっぽいところは(感覚的に)「ジ・アザー・サイド」にいってしまった。そして我々はいいカンジにトゥルム・グルーヴにはまっている。

Monday, March 05, 2012

楽園の失い方

楽園を「発見」する。一握りのバックパッカーだけが知る秘密の楽園を。フィリピンの7000もある島々の中のひとつだ。(初めてフィリピンを訪れた時から現地の人々が「わが7000の島々」について語っていたが、正確にいくつあるのかはっきりしていない。調べると7107が正式な数らしいのだが、潮の加減で消えてしまう島もあるので、これもかなりアバウトな数字だ。)この小さな島には小さな漁村があり、幾つかの漁師と家族が竹とヤシの小屋に住んでいる。外人は最初はハードコアなバックパッカーのみだ。最後の数キロはジャングルの中をハイクしないといけない。で、ビーチに出たら島に渡るため漁師と交渉し彼らのボートでヒッチハイクだ。島には電気も車も発電機も水道も冷蔵庫もない。あるのは南国の楽園だ。あるのはアコースティックギターのメロディの中で踊る蛍。現地の人たちのように魚とご飯のシンプルな食事を食べ、生温いビールにも慣れてしまう。砂浜の上にある竹とヤシの掘建て小屋をリースする。5年で500ドルだ。でも、ずっとずっといたい気分。

ずっといたい。だが、楽園は「ずっと」あるとは限らない。楽園はゆっくりと消えていくのだ。

バックパッカーは仲間に秘密を漏らし、どんどんと新しいバックパッカーがやってくる。彼らも仲間に自慢する。旅人が増える。道が整備され、バスルートも延長されジャングルをハイクしなうてもよくなる。フェリーサービスが始まり、水上ヒッチハイクも必要なくなる。旅行者がどんどん増える。小さな航空会社はマニラからのほぼ直行便を開始する。観光客がやってくる。外人が増えると外人のニーズに答えようとする人々も増える。食事の幅が広がる。発電機の導入で冷えたビールも飲めるようになるのだが、夜の静けさはもう過去のもの。レストランやバーを開く外人もいる。観光客がどんどん増える。ビーチのわきの歩道にオートバイが現れ、マニラの娼婦たちもやってくる。

5年リースが終了し、再契約はしない。地主もそのほうがありがたい。彼らはもっと大きな夢を追うようになっているので。

20年後、初めてかつての楽園に戻る。昔のままなのは島の名だけだ。浜辺はホテル、ペンション、レストラン、バー、土産屋がところ狭しと並んでいる。全て外部からの人たちのビジネスだ。もともとの住人が営む商売ではない。海は観光客用のボートで埋め尽くされてしまい、時々奇妙は緑色の藻が繁殖している。ゴミも目立つ。小さな島は観光客に押しつぶされているようだ。昔の住民、仲良くしてくれた漁師たちなどを探しにいくのだが、やっと何週間目に見つけた一家族は島の反対側でーー強風と岩だらけの反対側でーーなんとかやっているのだ。開発のご利益は彼らのものではなかった。先祖代々の土地を売るのか早すぎたのだろうか。「食べ物も高くなってしまって、もう魚も高級品だよ」とぼやいていた。

楽園は自然に消えるものではない。楽園は「発見」により殺されるものだ。

このカリブ海沿岸も20年前は、、、どうだったのだろう。
過去を振り返る今日このごろだ。